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    第7章 水産プロジェクト運営を通じて国際協力
    第4-2節 ア首連にて水産増養殖センターの建設を施工監理する(その2)


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     第7章・目次
      第1節: 担当プロジェクトを総覧する [付属資料]JICA水産室時代における海外出張略履歴
      第2節: 担当はインドネシアの漁港案件から始まった
      第3-1節: チュニジア漁業訓練センタープロジェクトから多くの教訓を学ぶ(その1)
      第3-2節: チュニジア漁業訓練センタープロジェクトから多くの教訓を学ぶ(その2)
      第4節: ア首連にて水産増養殖センターの建設を施工監理する(その1)
      第4-2節: ア首連にて水産増養殖センターの建設を施工監理する(その2)
      第5節: カリブ海での沿岸水産資源調査やパラオでのカツオ操業の採算性実証に取り組む



  JICAが当時抱えていた国内法制上の事情とは何のことか。前節に既述したことから大よその察しがつくと思われるが、JICAの設立を 規定する組織法令によって、自身が実施できる技術協力の業務範囲が定められていることと 関係していた。「開発調査」という援助スキームをもって建物の基本設計レベルの調査を行なうことについては何の制約もない。 だが、技術協力としてそのレベルを越えて施設の詳細設計や施工監理を行なう法的権限が認められているかどうかということである。 ここでいう施工監理とは、ア首連が望む「水産増養殖センター」の詳細設計を行い、国際入札図書一式を作成し、入札を補佐し、建設工事を請け負う 建設業者を選定し、なおかつ施主であるア首連政府に代わって建設工事に対する施工監理(スーパービジョン supervision、S/V) を含めた一連の工程のことをいう。

  かくして、全関係者の間で喧々諤々の議論が交わされた末に、外務省がこの事案を引き取ることになった。そして、外務省はア首連と再協議を行い 新しい合意文書を取り交わすこととなった。日本側としては、改めて先方と協議し施工監理を行なうつもりはない旨を盛り込んだ合意 文書を準備していた。さて、交わされた合意文書で一件落着するかと思いきや、JICAの顧問弁護士事務所によれば、 同文書であっても日本側が施工監理につき協力するという趣旨には何ら変わりはないという解釈と結論であった。かくして、日本・JICAはア首連に 協力して施工監理を行なうか否か、真にそれが問われることになった。

  事はもはやJICA水産室だけで対応し得る問題ではなくなっていた。企画部が外務省との間に入って調整に乗り出すことになった。同省 技術協力課との協議の初期段階では、JICAは国内法制上施工監理をする法的権限が認められておらず、それに携わることはできない というのがJICAの見解であり、真正面からぶつかりあった。何度か協議が続けられた結果、その落としどころとしては外務省から JICAへ念書一通を差し入れるということになった。外務省が本件協力に関わる全ての責任を負うことを約し、JICAも腹を括って実施するという運びに落ち着いた。 当時の深刻な石油危機と言う時代的背景では、日本が国内法令上の制約を盾に協力しないという判断を頑なに固持するという 選択肢はなかったと推察される。完工するまで何年要するか分からないが、 外務省が予算的措置を含め全責任を取るという、JICAに差し入れられた文書一枚の下で、施工監理という前例なき技術協力に踏み出した。

  だがしかし、そもそもJICAには施工監理できる有資格的な技術者や実務経験者など誰一人としていなかった。また、施工監理中にJICA 側の人為的判断ミス(故意ではないミス)などで何か事故や工事遅延が発生し、金銭的賠償などが惹起されたとしても、JICAは責任を負えるものではなかった。 そこで、JICA職員になり代わって施工監理を引き受けてくれる民間コンサルタントを見つける必要があった。 当該業務に就く者は民間コンサルタントであるとしても、ア首連側からすれば、当該コンサルタントはJICAそのものであり、 JICAは施工監理者としての責務から逃れられるものではなかった。だとしても、万が一何か手違いが発生した場合には、JICAではなく、 コンサルタントにその責任を取ってもらえるように、JICAとの契約書上それなりの縛りを掛けておかねばならなかった。だがしかし、 そんな都合の良いことができるのであろうか。監理を行なうのはJICA自身であることには変わりはなく、コンサルタントはJICAの分身 そのものであり、一心同体ということであった。更にまた、建設工事請負業者に対しては、JICAがア首連政府の代理人の立場で 施工監理を行なうということを意味していた。

  さて、施工監理を請け負う民間コンサルタントと一心同体になり、ア首連の代理人としてセンターの建設工事の監理に当たれと、担当者の 私に言われても、その経験も知識も全くなかった。何をどうすればいいのか、うろたえるばかりであった。そもそもJICAに施工監理業務 を行った経験者も知恵者もいるとはとても思えなかった。先ずは、JICAの内部手続きを経て、JICAのために 施工監理を請け負ってくれるコンサルを選定し、「瑕疵担保条項」を含んだ監理請負契約を取り交わすことが必要であった。 同条項は、施工監理においてJICAが故意若しくは重大な過失をもってア首連や建設業者に損害を与えない限り、JICAは 一切の責任を負うことはないことを約するものである。コンサルはその条項を踏まえつつJICAになり代わってア、首連政府と詳細設計 や施工監理を請負うための契約を取り交わすことになる。契約後は、センターの詳細設計と平行しながら、ア首連の代理人兼施工監理者 という肩書と立場を背負って現地で国際入札を補佐する。そして、ア首連政府と建設業者との工事請負契約の締結後には、まさに施工 監理業務に着手してもらうことになる。

  だが、JICA内部の手続きとして、調達部契約課にコンサルタントのリクルートに着手してもらうには多くのドキュメンテーションが 必要となり、それは初めての経験であり全くノウハウを持ち合わせてなかった。発注主であるJICAとしては、コンサルにいかなる 具体的な業務を請け負ってもらうのか、その業務内容や範囲、またJICA/ア首連・コンサル・建設業者の4者の権利義務関係を 明確にしつつ、必要な書類一式を作成し、契約課にコンサル選定を依頼する必要があった。リクルート 関連実務に不慣れのなか、そのデスクワークこそが当座の最大の難儀であった。実務経験と知識が全くない担当者にとっては、何か事を判断しよう にも判断できる知恵をもち合わせていないという苦しさが毎日のようにつきまとった。何をやるにも全て手探りであり試行錯誤の連続であった。 実務が滞り、どんどん追いつめられ、焦るばかりであった。

  全てが初めての実務であり、それも次々とこなさなければならなかった。コンサルタントを選定するのに、業務指示書、施行監理の 業務内容とその範囲、人員の配置計画表と数量、予算計画書、ア首連政府・JICA・コンサルタント・建設請負業者の四者間 の権利義務関係を図上演習しながら、瑕疵担保条項などを含むJICA・コンサル契約書案などを手探りで準備した。調達部契約課が 主催するコンサル選定委員会を経て、一連の選定手続きなどが進められた。実際は、先の「開発調査」を行なったコンサルである 「パシフィック・コンサルタンツ・インターナショナル(PCI)」が特命随意契約方式で選定され、同社との間で監理業務請負契約を 締結する運びとなった。

  実務を進める過程のいろいろな段階の一時期において、胃に錐を刺したような激痛に襲われた。このままでは確実に胃潰瘍になるという恐怖に囚われ、深刻に悩んだ。 精神的に病み鬱病になる寸前であった。毎日起きるのが苦痛で、出勤するのも憂鬱となり、駅ホームからふらふらと転げ落ちるのではないかと 自身でも意識するほど恐れた。だから、ホームの端を歩いたりせず、ホームの中央に立って電車を待つように、意識を堅固にもつよう 心掛けた時期もあった。軽いノイローゼと言うような話ではなかった。人生で初めて鬱病者の心境が痛いほど分かった。食欲がなく、気力もなく、何をすればよいのかも、また何を 考えているのかも自身で分からなくなった。

  ア首連の増養殖センターのことで、明日は何をどう仕事すればいいのか、寝床に就いてもすぐに頭に去来し眠れなくなっていた。 頭からア首連のことを払拭し眠りに就こうとすればするほど、そのことが頭の中をぐるぐると駆け巡るばかりとなり眠れなくなった。 何日もそのような眠れない日々が続き、自身でも鬱状態だと感じた。仕事を放り出したくなるが、それもできず悶々としながら 何とか気を持ち直して職場へとぼとぼと向かう毎日であった。心の激しい浮き沈みが頻繁にやってきたが、それに打ち勝とうと 一人もがいていた。この頃が最も辛い時期であった。

  ついにPCIと契約書を取り交わし、ようやく一名のベテランの主任監理者を現地に派遣するところまで漕ぎ着け、そしてまた詳細設計 の段階へと入って行った。数か月後には分量のある詳細設計図に加え、英文の国際入札のための図書類一式がJICAの事前承認 を求めて、PCI本社の海外業務統括部から順次送り届けられてきた。設計図や工事数量表などは絵図と数字であるが、国際入札 に先立って入札関心社に対して提示される工事の業務指示書や国際契約書案など、当然すべて英語の書面であった。

  国際入札を前にして、外務省などの関係者らに業者選定基準や工事の工程、工事契約書案などに関し近々に説明せねばならなかった。 何をどう説明すべきなのか、読み解いて理解するには時間も余りなく、針のむしろに座るようで心穏やかになれず、 何度も精神的に追い詰められていた。建設工事の契約書案は、 基本的に「フィデック(FIDIC)」という「国際建設工事契約約款」に則して作成される。FIDICを理解しておくことは契約書案の 内容の適否を判断するには欠かせなかった。施主のア首連政府、建設工事請負業者、そのサブ・コントラクター、施工監理者である JICA、JICAによって派遣されるコンサルとの間の諸々の権利義務関係が記される。建設業者は期限内に施設をア首連側に引き渡さ なくてはならない。JICAは分身のコンサルタントと適正な施工監理を果たさなくてはならなかった。 ア首連は自身の代理人であるJICA(及びそのコンサル)による工事出来高の承認の下、工事手付金、何度かの中間支払い、完工後の 最終支払いなどをきちんと支払う義務があった。

  国内関係者らへの説明会が近づくなか、苛立ちがピークに達しついに居直ってしまった。英語版の全関係入札図書案を束にして、 当時着任して間もない新水産室長の机にどさっと置いて、「月曜日までに全てに目を通して、国際 入札に「ゴーサイン」を出して問題ないか否か」の指示をしてほしいと本気で求めた。要するに判断の丸投げをした。 当時、最も鬱に沈んでいた。 室長が通読して管理職としての意地を見せてくれたら、担当者としてもう一度頑張ろうと秘かに覚悟を決めた。私的には、 それが極度に追い詰められていた時の偽らざる心境であった。担当者としての役目を果たす必要があったが、何をどう説明すべきなのか 見えてこず悩みがずっと続いていた。翌週、室長から「入札図書を一通り読んでみたが、あるページのこことあそこがどうしても理解でき ないので、教えてくれ」と請われた。それを聞いて、気を取り戻し、担当としてもう一度施工監理と正面から向き合うことと決意した。

  かくして、施工監理を請け負ってくれたコンサルタントのPCIと二人三脚で歩み出した。 現場に常駐するPCI主任監理者には、ア首連のみならずJICAの代理人としての看板と全責務を背負ってもらっており、コンサルから 受けた全ての報を通読し、節目節目で必要な「指示/ゴーサイン」などを出し続けた。 まさに、JICAとコンサルタントは一心同体であり一蓮托生の仲であった。通例は特に問題が発生しなければ、定期報告書を もって進捗状況を確認した。時には個別の相談を受けつつ適宜必要な判断を下して行った。またPCI本社の統轄本部とも緊密な連携を 取りあった。

  さて、国際入札を執行する段階に入った時のことに遡りたい。現地の英字新聞に入札のための広告を掲載し、国際的に建設請負業者を公募する段階へと移行 した。応札したある英国・ア首連合弁企業体に関し、コンサルタントは応札書類の不備を理由に失格させるとの判断を下した。 JICAはその判断を是とし受け入れた。その後、幾つかの応募企業の中から、ある社が交渉優先順位第一に浮上した。 その後契約交渉を経て、正式に契約締結を行なう運びとなった。 だがしかし、ア首連農漁業省は突如再び外交ルートを通じて、その審査過程に瑕疵があるとして、国際入札の遣り直しを求めてきた。 これではJICAはア首連の代理人として責任もって入札はおろか、その後の施工監理を責任をもって遂行しかねるとして、監理業務 から撤退することも止む得ないと遺憾の意思表示を示そうとした。かくして、JICAは再び外務省に善処を求めて協議することになった。

  応札書面不備のため入札有資格者とは認められないと失格にした社が、ア首連にとってどうも本命であったらしいことがずっと後で 判明した。だが、そんなことよりも、瑕疵のない正式の入札評価結果を覆されるのであれば、JICAは今後責任もって施工監理を続け られないとする旨の逆クレームを行った。即ち、JICA企画部を介して外務省に対してJICAは施工監理から撤退したい旨を強く 申し入れた。再び企画部が前面に立ち、またもや一通の念書をもって、 外務省が予算も含め今後の協力の実施に全ての責任を負うとの約束を得て、入札をやり直しすることになった。 その後、再入札と評価が行われた結果、交渉順位第一位を得たのは何とその英国・ア首連合弁企業体であった。交渉の末、正式に 建設コントラクターとなり、工事着工の運びとなった。そして、その後の工事の工程における同企業体の奮闘ぶりは語るも涙 聴くも涙の道を辿った。

  建設工事期間は1年ほどの予定であったが、工事は延びに延びて、竣工したのは4年後のことであった。施主のア首連政府に よるたびたびの設計変更、工事代金の工期ごとの部分払いの遅延、予備費の使い方を巡る紛議など、あらゆることが遅延の直接・ 間接の要因となった。建設業者はア首連側の代金の支払い遅延や不払いのために、自身の工事労働者に賃金を支払えず、そのために 労働者によるストライキまで引き起こされたりもした。 止むを得ず、業者は資金を別途調達して労働者に支払い、工事を続行する努力もしていた。

  英・ア首連合弁企業体はコントラクターとして諸々の理不尽な難義を背負いながらも、工事契約を途中で破棄することなく、 献身的な努力と忍耐力をもって、着工後4年目にして竣工に漕ぎ着けた。何と、第一回目の入札に おいて応札書類の不備で失格者となったあの外資系企業体が、最後まで踏みとどまり奮闘した結果、増養殖センターの完成を見た。 結果論であるが、再入札によって同社が請け負ったことが、施設の完工という「結果オーライ」に繋がったと総括できる。それにしても、 長い道のりであった。中東アラブ諸国で仕事をするには、想定し難い諸々の苦難を乗り越えることを最初から覚悟せねばならなかった。

  JICAの施工監理予算もついに尽きた。JICAの分身である主任監理者の派遣は1名であったが、間接費を含むコンサルタント諸経費は 極めて髙いものであった。工事が遅延することを最初から注意深く見越して、それなりに大幅に予算を膨らませておいた。実質2年以上 対応できる予算を期初に一括して確保していた。外務省もそれを了としてくれた。だがしかし、潤沢に確保しておいたはずの予算も、 工事の延長が繰り返されたため、3年目には予算不足が見え始め底を尽きかけた。

  4年目には、間接費を含むコンサルタント諸経費をまともには支払えなくなった。外務省は追加予算確保のために大蔵省と掛け合う必要があったが、流石になおも「開発調査」が続いていることを 理由に追加予算を要求することはしづらかったようである。止む無く間接費なしの直接的経費のみでの支払いをもって、完工まで 後わずかとなっていた監理業務を同社の「厚意」をもって続行してもらった。 即ち、直接人件費のみを所属先補てんするという「ウルトラC」的な遣り方、即ち「技術協力長期専門家の派遣経費の算定方式」 で対応せざるを得なくなった。工事がこれほど遅延し、ついに予算が枯渇する事態に至るとは全く予想外であった。 アラブの世界では、やはり何が起こるか分からない。一年余の建設予定期間が4年目へと延びても何ら驚くに当たらないという。 アラブ世界のそのような「常識的かつ近常態的」有り様を学ぶことになった。

  総覧してみると、ア首連プロジェクトを通じて幾多の教訓を学んだ。JICA調査団が交わすプロジェクトの合意文書の作成における 一言一句のもつ重さを肝に銘じた。何のお咎めもなかったが、一つの英単語の見落としや使い方の間違え、これには何の言い訳もなかった。 人間をとことん追い詰め苦悩の奈落に突き落とすきっかけは、日常的にどこにでも転がっているということを教訓として学んだ。 初めての経験であっても「なせば成る」と構えるのも時に大事なことであるが、精神が壊れるまで追い詰められることもありうる。 その前に声を上げることの大切さを同時に学んだ。他方でまた、月並みかもしれないが、誠実に事に向き合うことの大事さも一つの 教訓として学んだ。

  ところで、水産室にて担当したプロジェクトのほとんどはイスラム文化圏にある国々であった。チュニジア、ア首連しかり、 そしてインドネシアもそうであった。当時、非イスラム国の案件も担当するにはしたが、ミクロネシアのみであった。 イスラムやアラブの文化にかなり疲れを感じていた頃、周りの先輩諸氏に聞き取れるように「独り言」を洩らした。「他の地域の プロジェクトも担当してみたい、誰かプロジェクトを交換してもらえませんか」。その独り言が後の人生に最大級のインパクトを もたらすことになるとは、知る由もなかった。

  優しい二人の先輩職員は気を利かせて、ホンジュラスとアルゼンチンなどのプロジェクトを譲ってくれた。そしてJICAの出張 において初めて太平洋を越えた。水産室内の担当者同士のバーター取引によって、中南米との縁ができた。半ば意図的に発したその「独り言」が、 ずっと後に奇跡的な幸運をもたらすことになった。先輩職員へいずれのプロジェクトを差し出したかは記憶にない。譲り受けた アルゼンチンのあるプロジェクトに関する成立をめざしその合意形成のためアルゼンチン海軍との交渉に奔走した。1983年には 日本とアルゼンチンを3度往復することになった。 他方その間も、ア首連の水産増養殖センターの完工を目指し、PCIとのコンサルタント契約を再三延長しながら施工監理をフォローし続けた。

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    第4節 ア首連にて水産増養殖センターの建設を施工監理する


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