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    第4章 ワシントン大学での勉学と海への回帰
    第9節: 深海底マンガン団塊と海洋環境保全を深掘りする


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     第4章・目次
      第6節: 研究論文をもって起死回生を期す(その1)/地理的偶然による海洋資源の配分
      第7節: 研究論文をもって起死回生を期す(その2)/論文「アフリカ地域と200海里経済水域」
      第8節: 海洋学や海運学の面白さに誘われ、海へ回帰する
      第9-1節: 深海底マンガン団塊と海洋環境保全を深掘りする(その1)
      第9-2節: 深海底マンガン団塊と海洋環境保全を深掘りする(その2)
      第10節: 海洋コンサルタントとの出会い、そしてシアトルとの別れ



  さて、後々になって先進諸国と発展途上国間で際立った対立となった諸点とは、例えば以下のようなものであった。
1. 希少含有鉱物であるニッケル、コバルトを生産する途上国の陸上生産国は、海底からの大量のマンガン団塊の開発によって経済的に大きな負の 影響を被る懸念があった。生産国や途上国は、団塊からのそれら鉱物の生産量を制限するための何らかの量的基準を設けるべきであると主張していた。 他方で先進諸国は生産制限の考えそのものに強く反発することになった。それら鉱物の生産国の経済的マイナス影響を最小限にどう抑えるかの 問題であった。

2. 団塊の開発企業体に強制的技術移転の義務を課し、国際海底機構自身の事業体に無償で技術を使用させるか否かを巡って激しく対立した。 特に第三者の技術に絡む移転義務の有り様に集中した。途上国は、国家あるいは民間企業体が国際機構と契約を結ぶ際、 その企業体が使用する技術を申告させ、かつ機構の事業体に無償で使用させることを主張した。先進国はそれに反対で応じた。

3. 財務規定に関する深刻な問題が喚起されるようになった。探査・開発鉱区の登録申請料として企業体は国際機構へいくら支払うか、 開発・生産によって得られる利益を機構へいくら納付し、加盟国にいかように配分するか、なども重要テーマとなった。 機構が探査・開発を一元的に管理することの意味は、開発からの収益を途上国にも分配することに他ならなかった。 探査鉱区の登録申請料や商業的生産契約の申請料、生産開始後の生産賦課金や純収益の分与額やその納付方法など、いずれも難問であった。

4. その他、機構の組織についても争点として浮上した。理事会の構成と権限、意思決定の手順なども重要テーマとして提起された。 国際海底区域の管理機関となる国際海底機構での意思決定方法は、同機構が企業体と契約する権限をもつがゆえに、重大な関心事項 となっていた。また、総会と理事会の権限の配分、理事会の構成国と地理的配分、その意思決定手続きなどが争点となった。

  ワシントン大学の海洋研究所(IMS)などで団塊開発レジームのことを学び始めた1975年から4年ほど先のことになるが、1980年発足の米国レーガン政権は、条約案をちゃぶ台返しした。 特に団塊開発管理レジームに関し、全面的な見直しを主張し始めた。その後1982年に、国連海洋法会議では、当初のコンセンサス による条約採択方式が変更され、記名投票が行われた。米国は反対票を投じ、英国・ドイツなどは棄権した。条約は圧倒的多数で採択された。 米国はその反対理由として、団塊開発における生産制限は市場原理に反すること、国際機構の事業体(エンタープライズ)などへの 強制的な技術移転義務は重大問題であり納得できないこと、事業体に関する特権的扱いは見過ごすことはできないこと、また機構における意思決定方法 に不満であることなど、ネガティブ理由を数多く列挙した。

  さて、今夏学期での取り組みとしては、団塊の開発管理に関する法的レジームを概観するもので、それについて深掘りすること ではなかった。翻って、取り組みの最大のテーマは、団塊の商業的採鉱に伴う海洋環境への事前影響評価に関する調査研究の進捗について 深掘りすることであった。

  法学をバックグラウンドにする学徒の私が、それらを探究できるのは、「海洋総合プログラム」の 神髄の一つでもあった。大規模な商業的採鉱が実施される前に海洋環境への影響について評価がなされ、採鉱技術開発へ フィードバックされる必要があろう。団塊が賦存する深海底やその上部にある水塊(水柱・コラム)に局部的にしろいかなる影響を もたらすことになるのか、私には興味あるテーマであった。正に、法学的課題ではなく、自然科学系と工学系の要素が入り混じった 課題を深掘りするものであった。私の視座は、団塊の商業的採鉱に伴う海洋環境保全の観点から、米国の産業・学術界ではどのような 調査研究に取り組み、何を課題にしているのかを理解することであった。

  団塊の採鉱システムには当時、主に2つのエンジニアリング・システムがあった。一つは「連続バケット式採鉱システム(CLB)」 と呼ばれた。深海底の堆積物にわずかに、あるいは半没する団塊をすくうための直方体のザルのような鋼鉄製バケットと、それらを 一定間隔で取り付けた長大の垂直輸送用ワイヤーから構成される。そして、船を支点に巨大ループ状になったワイヤーは、機械的に 回転させられる。もう一つは、「エアリフト・ポンプ式採鉱システム(ALP)」で、いわば巨大な吸引式(サクション式)掃除機と 考えれば分かりやすい。

  海底で団塊を集塊する吸引装置と海上の採鉱船へ吸い上げる輸送管とポンプ装置とで構成される。 集塊するバケットや「掃除機」周辺では、海底堆積物や生物の掻き乱しによって環境に影響をもたらす。また団塊の揚鉱途上において バケットから海底堆積物が漏れ出て海水コラムに沈降することになる。洋上の採鉱船では、輸送管で吸い上げられた団塊と堆積物・海水が 分離され、後者は海へ放出されよう。海洋環境や生物へのインパクトの程度は異なるが、共通する3つのインパクトが観察される ことを理解した。

1. 海底堆積物の掻き乱しと再堆積作用による海洋環境へのインパクトが観察される。バケットや集塊装置のドレッジヘッドによって 海底堆積物が掻き乱されることになる。バケットの食い込み度合(深度)はどの程度コントロールできるか、これからの技術開発にもよる。 堆積物を海水コラムに掻き上げ、その後沈降・再堆積作用を引き起こす。ALP方式では集塊装置が堆積物に食い込む。 その食い込み深度はコントロール可能と思料される。堆積物の掻き乱し、その懸濁や沈降、再堆積作用が伴うが、海洋全体からすれば 取るに足らないものではあろう。だとしても、装置による掻き乱しを最小限にするためのさらなる技術開発が求められることになろう。

2. 2方式の環境への共通の第二の影響は深海動植物群に対するものである。バケットまたは集塊装置が通過する特定の海底区域に棲息 する動植物群そのものやその棲息地帯を破壊することになる。影響の程度は、その動植物群の賦存量や再生殖サイクル、採鉱の強度や 地理的範囲などによって決定されることになろう。当時、深海底の動植物群の量的データほとんどなく未知の領域とされたが、そのバイオ マスは極めて少ないとされる。だが、遅い再生殖リサイクルの生物が観測さるといわれる。

  例えば、深海ハマグリは性的成熟に達するのに200年を要するとも指摘される。そのような動植物群を保護するには、 究極的には一つしか方法がない。十分な幅員をもって、荒らさないままにしておくために帯状の海底区域を残存させておくことである。 特定採鉱区域において全面的な破壊を防止すること、または破壊をミニマムに抑制するための技法が採用されることが重要となろう。 海底の掻き乱しと堆積物の懸濁・沈降による生物へのインパクトの調査研究はこれからである。

3. 第三の環境への共通インパクトは、堆積物、生物、底層海水が、海水コラムの各水深層に放出されることである。沈降・再堆積することになる この放出海水は海洋環境にどのような影響を及ぼすかの問題である。放出される深海の底層海水は、水温・塩分が低く密度が高い、 またさまざまな塩類を含んでいてその栄養塩類溶存度が高い。海水コラムへの放出による有害性の助長や、逆に植物プランクトンや海洋 食物連鎖の生産性の助長がもたらされるかもしれない。生物学的な有益性などの観点から研究することも今後の課題と考えられる。

4. 揚鉱された団塊の精錬工程は、その開発システム上の重要な構成要素の一つである。洋上精錬が行われる場合、くず鉱や その他の廃棄物の海洋投棄に伴うインパクトにつき、慎重かつ十分な調査研究がされるべきであろう。十分な防御的措置なくしては、 採鉱そのものよりは遥かに危険なインパクトを海洋環境にもたらしかねないと危惧されている。それらの大規模かつ長期にわたる 洋上投棄は海洋の動植物に有害な結果をもたらしかねない。

  米国連邦法によれば、深海底鉱物資源開発を国内立法化したり、政府が国連海洋法条約などのマンガン団塊開発関連取極めを承認する 場合には、環境インパクトに関する詳細な報告書の作成を必要とする。 因みに、商業開発企業体は、その操業においていかなる環境条件をクリアにすべきかを理解する必要がある。それをもって、いかなる 採鉱技術や洋上処理・精錬技術を開発すべきかを理解できることになる。そのことは、関連装置の設計などの技術開発に 直接的に関わってくる。

  企業体にとっては、米国政府や国際機構によって将来定められる環境保護条件に適合するよう、技術 開発を進めたいと願うはずである。開発してきた装置に対して重大な技術的変更を将来要求されるとすれば、生産計画やコスト パフォーマンスにマイナスの影響をもたらしかねなないからである。当然の関心事である。米国では環境に大きな影響をもたらす事業の場合、 事前に環境影響アセスメントによって問題がないことが確認される必要があり、将来いかようにアセスメントが具現化される のか、関係者は注視している。 かくして、当時の2つの代表的な採鉱システムと海洋環境への共通のインパクトについて深掘りし、将来的課題や見通しなどを模索し ようとした。期末には、「マンガン団塊の採鉱と海洋環境への影響および環境アセスメントの現況」と題して、タームペーパー を作成・提出した。

  大規模な採鉱活動による海洋環境への長期的なインパクトについは全く未知数といわざるをえない。環境への有害なインパクト の防止やミニマム化、あるいは有益なインパクトの助長などの観点から、よりよい採鉱装置やシステムの技術開発、プラクティス の進展に関心が向けられよう。また、洋上の採鉱船から放出される微小物質や洗浄水の沈降と再堆積やその影響、上昇中のバケット に付着したままの堆積物の海水コラムでの沈降と再堆積などのインパクトはいかなるものか。それらについても今後の調査 研究によって解明されるものと期待される。

  さて、1974年10月以来1年間の学業を終えて、改めて「海洋総合プログラム」の意義をもう一度振り返ってみた。国際海洋法の学徒で ありながらも、海洋学、水産経済原論、漁業資源管理学、海運・港湾学、海洋国際組織のガバナンス論、海洋鉱物資源開発学、 マンガン団塊採鉱と海洋環境影響評価、船舶通航など、海洋関連の社会人文科学系と自然科学系・工学系の諸学を部分的では あるが幅広く 学ぶことができた。そして、プログラムの意義について、1年間の実際の履修を通していろいろ見えてくるものがあった。

  海における自然現象、人間の営み・社会経済活動、それを律する海の法秩序や利害調整ルールなど、全てがさまざまに連環している。 相互に複雑に連環する諸課題に向き合い、その解決策や利害調整を模索するには、一分野での単体的 アプローチや知見だけでは限界がある。対処し切れないことが多々ある。 領域の垣根を超えてさまざまな諸学を学ぶこと、また異分野の学徒間で知見をシェアし、触発させ、 化学反応を起こさせること、また学際的・領域横断的なアプローチをもって課題解決に臨むことが不可欠であろう。 そのようなアプローチをもって海の課題に向き合うことができる人材を育成しようという基本理念の下に創設されたのが同 プログラムなのであろうと理解した。

  ところで、当時を振り返って残念に思うことが一つある。海洋に関連するいろいろな自然科学系や社会人文科学系の諸学に触れた。 海にまつわるそれら諸学の専門書や学術論文などを通読する機会も沢山あった。読むだけでなく、何本かの海洋関連のタームペーパー を綴ったりもしきた。その過程で海の専門的語彙に数多く接してきた。

  しかしながら、海の語彙集づくりについてのアイデアが少しは脳裏をかすめたものの、それに取り組むことはしなかった。 大学ノートに語彙をその都度書き留め、便利帳や用語集づくりすることの試みもしなかった。 語彙をいちいち書き溜める余裕などなかったのか、それともその必要性が希薄だったのか。書き留めておかねば後々自身が難義する という強い必要性を意識することはなかったのか。「海洋総合プログラム」での学びは、海の語彙集づくりを始めるには最初の ビッグチャンスであったはずである。特に三学期以降は余裕が少しは生まれ、取り組み始めるベストタイミングであったといえる。 だがしかし、着眼性の貧困さゆえに、チャンスは見事に眼前を素通りしてしまった。

  語彙集づくりの機会を逃したものの、喜びとすることもあった。第三学期から夏学期にかけて、キャンパス・ライフに 余裕が生まれ、この頃初めて「海洋総合プログラム」の面白さ、留学そのものの楽しさを日常的に肌で感じることができた。 キャンパス内の諸施設間を飛び跳ねる様に行き来していたことをはっきりと思い出すことができる。

  そして、何よりも嬉しかったのは、海洋諸学の学びを通じて海への回帰を実感できたことである。 国連海洋法務官への奉職が現実のものとなれば、恐らく一生涯海洋法を自身の専門分野と位置づけ、海と関わり続ける ことができる。その可能性に気付いた時こそ最も明るい希望を持つことができた。そして、海への回帰は一過性に終わることなく、 ずっと先々まで繋がって行くことになると確信できた。「海と関わりのない世界」へ後戻りしたり、海から遠ざかることは二度と しないことを深く心に刻んだ。

  ところで、夏学期を終え必要単位の取得を了することができた。とはいえ、学位証書はどうなるのか。本質的な問題は 学業成績にあったが、夏学期を最後にして学業の修了に漕ぎ着けたことが何よりも嬉しくて、成績や学位のことをすっかり忘れていた。 帰国を数週間ほど後に控えていたある日、バーク教授を研究室に訪ねた。その折に交わした会話から、教授が私の学位のことを 真剣に考えてくれていることを知るとともに、学位のことは「運を天に任せて待つほかない」ことを認識した。 彼が研究室で話してくれたことは今でも忘れることできない。彼の一言を胸にしまい込み、それを信じて部屋を出た。 その一言については次節に譲ることにしたい。その後帰国のための本格的な残務整理を始めた。



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