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    第4章 ワシントン大学での勉学と海への回帰
    第8節: 海洋学や海運学の面白さに誘われ、海へ回帰する


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     第4章・目次
      第6節: 研究論文をもって起死回生を期す(その1)/地理的偶然による海洋資源の配分
      第7節: 研究論文をもって起死回生を期す(その2)/論文「アフリカ地域と200海里経済水域」
      第8節: 海洋学や海運学の面白さに誘われ、海へ回帰する
      第9節: 深海底マンガン団塊と海洋環境保全を深掘りする
      第10節: 海洋コンサルタントとの出会い、そしてシアトルとの別れ



  第三学期(1975年4~6月)を迎える頃には正気と平常心を取り戻し、全く生き帰ったようであった。雲一つない晴天を仰ぎ見るような明るい気分で あった。第一学期末の時点では、学業成績が芳しくなく悲壮感が漂っていた。だが、第二学期末にはそれもすっかり払拭された。 第二学期に履修したバーク教授の「国際海洋法 (パートII)」のターム・ペーパーについて、めでたくスコア「A」をマークし、第一学期 での同科目「パートI」のスコア「C」と相殺することができた。そのことが大きな精神的余裕をもたらしてくれた。 何よりも嬉しかったのは、学業をそのまま続けようという希望と意欲を取り戻せたことであった。次学期からの学業に俄然意欲を 燃やすとともに、国連海洋法担当法務官への志しについて改めて思い起こし、自らを奮い立たせることができた。

  第三学期には選択科目の幅がぐんと広がった。以前より増して、履修したい海洋関連教科が目白押しで、選択に迷うほどであった。 また、4人の研究室仲間と同じく期末試験の態様について真摯に注意を払うようになり、筆記試験ではなくターム・ペーパー の提出で済ませられる教科か否かを確認するようになった。実のところ、そんな気配りによって意外にも不安感がかなり取り除かれ、学業に 余裕をもたらせてくれる要因の一つとなったことは間違い。

  先ずは、「漁業資源管理(パートII)」の範疇にある幾つかの科目を選択し、これまで以上に頻繁に「海洋研究所(IMS)」へ通った。 同科目の選択で具体的な目途としたかったことは、当時開催中の国連海洋法会議での議論の中でもまだまだ法的枠組みが細部まで固まっていなかった 200海里EEZに関して、日本にもたらされるであろうインパクトや、それに対する適応策などを模索するため、何らかの有益な 視座を学び取ることであった。特に、200EEZにおける漁業資源の余剰に関するルールとその適用について深掘りしたかった。 その学期末にはそれに関するターム・ペーパーを提出することにした。

  200EEZレジームの条約化とその実際の慣行によってもたらされるかもしれない漁業権益への深刻な負のインパクトを慮って、 日本は一貫して断固反対の立場を貫いてきた。因みに、1973年当時における日本の遠洋水域での漁獲高は、その総漁獲量のうちの 40%ほど、重量にして400万トンほども占めていた。フェーズアウトされた場合その漁獲高のすべてを即座に失う訳ではないが、EEZが条約化されれば、 ボディブローのようにじわりとマイナスの影響を被ることになろう。諸国が海洋法条約の成立・発効を待たずに早い段階で一方的にEEZの 国内法制化を執行するようにでもなれば、その被る負のインパクトはさらに早まることになろう。

  事実、大国によるそんな一方的措置の兆候は既に現われていた。日本の権益が最も絡んでいた北太平洋海域(ソ連、米国、カナダ の近接水域)において、その有望漁場からフェーズアウトされる可能性があった。即ち、米国、ソ連、 カナダなどが、新海洋法条約の成立を待たずに、200海里幅の何らかの「漁業専管水域」を設定する動きがあった。現実のものとなれば、 日本も早急に対抗措置を執らざるを得ない事態に追い込まれることになる。事実、米ソは、その数年後には、それを国内法化する措置を執り、 日本に大きな衝撃をもたらした。

  因みに、200EEZ法制などを盛り込んだ新海洋法条約は、1983年12月にジャマイカで署名された。日本はその後世界中の漁場から順次 フェーズアウトされるという歴史を歩み、甚大な影響を被ることになった。 先のことはさておき、当時の海洋法会議での関心は、はや「漁業資源の余剰原則」に関する具体的なルール作りとその適用に大きな関心が 注がれていた。

  一般論として、沿岸諸国が自身の200EEZ内に賦存する漁業資源を最大持続生産量(Maximum Sustainable Yield)まで十分に 有効利用しないとすれば、世界的規模で資源を無駄にすることにつながりかねない。それは人類の食糧源を無駄にすること でもある。現在法制化途上にある200EEZルールでは、沿岸国に漁業資源の適正な保存と利用を義務付ける一方で、沿岸国はMSYに 達しない未利用資源について他の隣接諸国や遠洋漁業国にどの程度どのように利用させる義務を負うことになるのか。沿岸国の適正に 利用する義務と他国に利用させる義務について、どのようなバランスのよいルールを制定するのかということであった。また、それらの隣接諸国間などでの 利用上の優先順位も重要テーマであった。

  「漁業資源管理(パートII)」の中から選択した一つの教科にあっては、200EEZ内の未利用資源に対する他国による有効利用の あり方を巡って喧々諤々の議論がなされた。条約ルール上、沿岸国は自身の200EEZへの他国漁船によるアクセス権および漁獲量を 認めるかである。EEZ内の余剰資源に対する他国による有効利用のあり方や権利、即ち「余剰原則」を具体的にどう規定化するか、 避けて通ることのできない最重要テーマであった。

  世界の沿岸諸国は、果たして、自身の管轄する広大なEEZにおいて、主要魚種別に漁業資源の科学的調査を十分行い、そのMSYを はじき出し、自国漁船隊への割当や余剰分の算出を適正に行なうことができるのであろうか。 沿岸国が全てを自国漁船に魚種別資源を割り振りし、最早余剰資源なしと決定すれば、他国は漁獲枠を要求する余地はないことになる。 疑義があれば国際司法に当該沿岸国を訴えることになるのか。訴訟は不毛とならないか。

  沿岸国が自身の200EEZからてっとり早く外貨収入を得ようとすれば、MSYなどの科学的ベースにこだわらず、他国漁船の操業を歓迎し、 入漁料を収受するという選択肢もありうる。他国漁船は、漁業交渉において沿岸国から有形無形の見返りを求められたり、 沿岸国内外の政治経済情勢によっては、資源に余剰があっても現実に入漁交渉が成立しないかもしれないし、また余剰がほとんど ない場合でも成立するかもしれない。

  EEZ内の余剰資源を近隣の内陸国やその他の漁業国に漁獲させることのプラクティスは、将来どのように積み重ねられて行くであろうか。 予測は困難であり、その行方は未知数であろうが、多様な状況が生まれるに違いない。 沿岸国は自国のもつ余剰資源に対して排他的管轄権を有する。他国によるそれへのアクセスはタダではなく、その漁獲 に対する何らかの金銭的対価、あるいは現物支払いなどが要求されるであろう。内陸国には優遇的措置が付与されるにして、 他国は余剰資源をタダで利用することは望みえないものと推察される。そして、漁業権益確保のために、入漁条件を巡る 交渉のせめぎ合い、技術や資金協力の見返りなどを巡る取り引きなどが展開されることになろう。 断定はできないが、余剰原則についてどのように規定されようとも、実際のプラクティスが繰り返されるうちに、 余剰原則は有名無実化していく可能性が十分ありうる。

  日本にとっても、入漁料の支払いはコスト増につながり、最終的には国民が支払うことになろう。場合によっては、漁業経営に 深刻な悪影響をもたらし、予見される将来には、漁場からの撤退が現実のものとなるかもしれない。 要するに、髙い入漁料を払ってまで遠洋漁業を続けるか否かの分岐点は、操業が経済的採算性に見合うものかどうかであろう。

  さらに、長期的に見れば、日本は遠洋漁業から相当程度フェーズアウトすることを迫られ、 その帰結として日本漁船隊による総漁獲量の大幅減少へと進む懸念が十分危惧されよう。日本にとって、200EEZ時代の本格的到来の暁には、 自身の200EEZ内における漁業資源の持続的最大および最適利用と保全を図ること、そして遠洋水域における漁業権益確保のための あらゆる外交的措置を講じ続ける他ないように見受けられる。究極的にはほぼフェーズアウトになる懸念があるので、それに備える ことは必須である。200EEZ時代に相応しい漁業発展戦略をもって生き延びて行く他方途はなさそうである。

  沿岸国による漁業資源の排他的囲い込みの権利と余剰資源の他国による有効利用の権利とのバランスの取れた条約でのルール化の 行方もさることながら、条約成立後における関係ルールの適用とプラクティスのあり様も、日本漁業の将来を占う上で大きな影響 をもたらそう。今後も余剰原則に関する規則内容やプラクティスの双方をじっくり注視していきたいと決意を新たにしつつ、 第三学期における関連科目の受講を終えた。最後に、200EEZと余剰原則との関連性について学習した成果として、既述の幾つかの視座 をもって、「200EEZに基づいた漁業資源の配分」と題するターム・ペーパーをエドワード・マイルズIMS所長およびクリスティJr.教授に 提出した。同教科は両教授の共催であった。

  200EEZとの絡みで日本と深く関わるルールは第一に漁業資源の余剰原則であったが、第二としては、人為的に引かれるEEZ相互またはEEZ・公海 間の境界線にお構いなく行き来する、いわゆる「ストラドリング魚種」であった。その代表的な魚種としては、サケ・マス類の「遡河性魚種」、 マグロ・カツオの「高度回遊性魚種」、ウナギ類の「降河性魚種」であった。それらの魚種別規制や管理のあり方、 海洋法会議での関係議論の方向性、遠洋漁業国としての日本への影響やその対応策に関する課題と視座を探ろうと、「漁業資源管理 (パートII)」の範疇にあるもう一つの科目を選択することにした。

  ある沿岸国が自身のEEZ内で資源保護のために厳しく規制しても、他国が自身のEEZ内でそれを乱獲すれば、あるいは隣接する公海 で乱獲すれば、前者の規制措置の実効性は削がれることになる。日本は、これらの魚種別規制についても、既得権益への深刻な影響の 観点から消極的にならざるをえなかった。日本はその規制にどう関わるべきか、その影響はいかほどか、対応策はどうあるべきかの視座 をもって、それらを学び探究できる教科を選択した。少なくとも当該3魚種については、様々な特性から魚種別に国際規制する ことが合理的であると、教授や院生がIMSでの講座を通して盛んに議論を繰り広げた。

  例えば、遡河性魚種であるが、日本は、米ソが1970年代後半に200海里の「漁業専管水域」を設定したことで、日本が早速フェーズ アウトされる危機に陥ることになった。それまでは、漁業協定に基づきソ連系や北米系のサケ・マスを北太平洋海域で沖捕りを していた。他方、米・加などは、自国の母川に遡上し産卵する当該資源の保護などのため、多大な投資をしていた。そして、特に米国は、 母川国として、陸上でのサケ・マス再生産のための投資やコスト負担などに配慮して、またその生物学特性に留意して、関係諸国は 適正な資源保護措置を講じ、かつ母川国への優先的資源配分を行なうべきであると強く主張していた。その状況下、IMSは、 3魚種別規制に関して、国務省などに対して海洋法会議の交渉で主導的役割を果たすようプッシュしているように見受けられた。

  遡河性や降河性魚種および高度回遊性魚種に関し、沿岸国の200EEZとそれに隣接する公海において、全関係諸国の全面的協力をもって 適正に規制しないと、彼らの漁業は互いにトレードオフの関係に陥る可能性が大きい。基本的にはいずれも魚種別に規制・管理する ことが好ましく合理性があると思われた。遠海にあるEEZや公海水域から成魚となって、あるいは稚魚として内陸河川などに 遡ってくる、サケ・マス資源やシラスウナギ資源についても、魚種別に最適な漁業規制につき関係諸国が一致協力して履行する必要があった。 「公海自由の原則」の下での「早い者勝ち」での漁獲競争では、乱獲に陥るリスクは明らかである。

  では、どんなルールを条約化すべきか。3魚種の特性は異なり、それらのステークホルダー(関係漁業国)や、地理条件・歴史文化も 異なるので、詳細なルールは関係地域機関などの創設によるルール作りに委ねられるのはやむを得ない。要は、ストラドリング魚種 については、関係諸国の一致協力によるきめ細かい実効性のある合理的なルール作りと適切な漁業管理の執行が不可欠となる。

  結論を繰り返すことになるが、200海里時代が到来した場合、日本が生きる道の基本は大きくは2つのみである。自国の200EEZに おける生物資源を乱獲することなく、適正な保護に万策を尽くしつつ、持続可能にして適正な利用を図ることである。もう一つは、 公海においては、地域別漁業管理機関や国際委員会を中心に、国際協調をもって関係資源の適正な保護と有効利用・配分を図ることが 不可欠である。更には、さまざまな増養殖や栽培漁業技術の向上も大いに期待されるところである。かくして、余剰原則と魚種別規制について、 法学のバックグランドしかもたない私のような学徒にとっては、第三学期において目からウロコの深掘りを再び体験することが できたことの成果と喜びは大きかった。

  さて、第三学期で最も痛烈に目からウロコを落とすことになった教科は、「漁業資源管理(パートII)」のそれではなく、実は「海洋学」 であった。「海洋総合プログラム」の神髄を感じさせられた学びの一つであった。実際、その学びの面白さに嬉々とし、少年のように 目を輝かせながら、毎週その講義に臨んだ感動を今でも覚えている。人生で初めて、海洋に関する自然科学の中で最も代表的な学術領域といえる 「海洋学」を高等教育レベルで学んだ。同プログラムに属する他の4名のクラスメートと受講を共有したことは意外であった。 彼らもまた、海洋学の学びは初めてだったらしく、同じく興味津々で受講した。私が日本で学んできた諸学のほとんどが法律にまつわる 社会科学系ばかりであったが、25歳にして米国の大学院で海洋学に触れることができた。私的にはそのことは海への回帰をことさら強く 実感させてくれるものとなった。

  「海洋学」の教授は、カリフォルニア州サンディエゴにあって世界的にその名が知られる「スクリップス海洋学研究所」を退職 した後に迎えられた海洋生物学者のダグラス・K・フレミング博士であった。海洋学の基礎知識をほとんど持ち合わせない我々に 理解できるよう、サブテーマごとに噛み砕いて分かりやすく講義してくれた。まるで中高生に向けて海洋サイエンスを紐解くかのようであった。海洋における様々な 自然現象である潮汐や海流とその大循環メカニズム、塩分濃度や水温などに関する物理、大陸漂移説や海洋底拡大理論(プレート・テクト ニックス理論)・海底の磁気縞とその反転、海における食物連鎖、深海底に賦存するマンガン団塊などの鉱物資源開発、海洋に存するエネルギー資源開発、 大陸棚・海山・海膨・中央海嶺・深海平原などの海底地形の概説、海洋調査研究の発展に関する人類の歩みなど、海洋物理・地質・ 化学・生物学などの海洋諸学の基礎を教わった。そして、その面白さに我々を目覚めさせてくれた。日本で言えば海洋学部などで学ぶ 「海洋科学の基礎(その1)」といったところであろうか。

  さらにまた、第三学期で、新鮮にして興味津々の学びとなった、もう一つの目からウロコの教科は「海運」であった。 同プログラムのもう一つの神髄ともいえる学びであった。大学には地理学部というのがあって、海運や港湾管理に関する講座 が一つの選択科目として提供されていた。地理学部の講義室に出向き学部生に混じって受講した。

  世界海運の一般事情をはじめ、ドア・ツー・ドア輸送を具現するコンテナライゼーションの発展の系譜、それが海上および陸上物流システムにもたらした革命的 変革とその社会経済的インパクト、載貨した自動車ごと船に積み下ろすロールオン・ロールオフ方式輸送システム、北米大陸両岸 をランドブリッジで結ぶ海陸複合一貫輸送システム、コンテナ化による港湾施設やオペレーションの大変革、港湾の後背圏(ヒンターランド)とコンテナ 集積理論、国内の港湾都市間における貨物の獲得競争、コンテナ輸送のハブ港とフィーダー輸送理論、国際港湾間におけるコンテナ 貨物獲得競争、国家の港湾行政のあり方、海運への政府不介入や「海運自由の原則」の理論と実際など、日本では商船大学などで学ぶような海上輸送や 港湾行政に関する専門的講座であった。期末には、ターム・ペーパーとして、「タンカー、航行及び汚染」と題して担当教授に 提出した。

  さて、第三学期において関心をもって履修したIMSでのその他の教科は「海洋国際組織論」ともいえるもので、海洋関連の国際機関 とそこでの行政・統治(ガバナンス)のあり方を学ぶものであった。国際機関における国際政治力学や地政学の理論や実際に 関わるもので、「海洋総合プログラム」ならではの選択科目の一つであった。

  世界には海洋科学、漁業・海運・船舶航行や海上安全、海洋環境保全などに関連する多種多様な国際機関や国際 専門委員会が活動している。国連下部の専門機関もあれば、分野ごとに多国間条約・協定によって設立された世界的あるいは 地域的な機関もある。例えば、国連専門機関のユネスコには「政府間海洋学委員会(IOC)」が組織されている。その他、「国際海事 機関(IMO)」、水産委員会や水産局を擁する「食糧農業機関(FAO)」や「国際水路機関(IHC)」など。また、大西洋・太平洋・ インド洋などの地域的な国際漁業委員会をはじめ、「国際捕鯨委員会(IWC)」「全米熱帯マグロ類委員会」「大西洋マグロ類保存 国際委員会」「太平洋中西部熱帯マグロ委員会」など数多くの魚種別委員会が活動している。

  講義ではそれらの主要国際機関の設立の系譜、任務や組織、機関長の選出法、機関としての意思決定法、財政分担の仕組みなど ガバナンスのあり方や課題について学ぶものであった。国際機関や国際委員会では、一般論として、機関の政策・ルール決定や ガバナンスにおいて中立性や公平性が保たれる必要があるが、意思決定・ルールづくり・行政運営全般において、さまざまな 主導権争いが繰り広げられる。時に、特定国の意向・権益の優先化や誘導、発言力・影響力の拡大化を図るための複雑な 力学が働き、利害がせめぎ合う。結果、国際組織としての公平性や中立性が損なわれたりすることもありうる。国連奉職を目指す 私にとっては、海洋にまつわる国際機関・委員会での行財政や組織改革、政治力学、ガバナンスに関するゼミはまたとない学びの機会となった。

  かくして、日本の法学部や法科大学院ではめったに履修することのない海洋諸学を学ぶ機会を得ることができた。そして、 神戸商船大学への受験や船乗りへの志しを諦めて以来のこととして、海洋学、海運・港湾管理、日本の漁業の将来を 考えるための漁業資源管理(パートII)などの学びは、海の世界への回帰を力強く誘い、かつ名実ともにそれを実感させてくれた。 それが、同プログラムでの学びを通じて最も嬉しかったことの一つである。

  振り返れば、日本で特別研究生として浪人生活中に偶然にも国際海洋法と出会ったことが、海への回帰の最初の起点となったといえる。 そして、留学したワシントン大学のプログラムにおいて、その回帰を進化させることにつながった。その回帰こそ最も喜びとする ところであった。第三学期を終えて初めて、同プログラムで学んで良かったと、心底から思えた。そして、海への回帰をさらに 一歩も二歩も前進させたのは、第四学期で履修した深海底マンガン団塊にまつわる学びであった。国連第三次海洋法会議の最大テーマ の一つであった、「国際海底区域」における鉱物資源開発と管理のことは次節に譲ることにしたい。

  海への回帰が一過性に終わるのではなく、将来海洋法担当の国連法務官への道につながり、さらにそれが現実のものとなれば、 海とずっと長く関わり続けられる。それも国際海洋法を専門的な支柱にしながら、一生涯海と関わり続けられる可能性も開けてくるのでは ないか。それを思うと、心に明るい希望の光りが差し込むようであった。今後は二度と海から遠ざかるまい、離れるまい、 と心に誓った。振り返ってみれば、第三学期末のこの頃初めて、留学の楽しさを心の底から感じることができた。当時にあっては、 キャンパスを飛び跳ねるかの様に行き来していたことが思い出される。志しに向かって前途洋々然として歩みつつあるという高揚感が 身体中から溢れ出ていたような気がする。

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    第4章 ワシントン大学での勉学と海への回帰
    第8節: 海洋学や海運学の面白さに誘われ、海へ回帰する


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      第6節: 研究論文をもって起死回生を期す(その1)/地理的偶然による海洋資源の配分
      第7節: 研究論文をもって起死回生を期す(その2)/論文「アフリカ地域と200海里経済水域」
      第8節: 海洋学や海運学の面白さに誘われ、海へ回帰する
      第9節: 深海底マンガン団塊と海洋環境保全を深掘りする
      第10節: 海洋コンサルタントとの出会い、そしてシアトルとの別れ