中国や韓国が自然延長論を論拠にしてもって自国の大陸棚を沖縄舟状海盆まで延伸可能であると主張するのは妥当ではない。
東シナ海における中国のアジア大陸の陸地からの自然延長の限界は、「沖縄舟状海盆」を越え、さらに南西諸島を越えて、
そのすぐ東側に横たわる「南西諸島(琉球)海溝」への沈み込み部手前に横たわるコンチネンタル・マージン(大陸縁辺部)まで
であると見なされるべきであろう。
沖縄海盆中軸まで伸びると中国・韓国が主張する自然延長論は、日中や日韓の相対国が同じ大陸棚に両岸間の距離が400km未満で向かい合う場合には
適用されるべきものではない。適用されれば国際法が要求する「衡平性」を著しく侵害することになる。
沖縄舟状海盆は、太平洋側プレート(フィリピンプレート)の、アジア側プレート(ユーラシアプレート)
への沈み込みによって、東シナ海の大陸棚上にできた、ほんの窪みに過ぎないと、地質構造上みなしうるものであろう。
東シナ海に海底地形的に窪みが多少存在しても、日中韓3か国は同じ一つの大陸棚に面していることが重視されるべきである。
(等距離中間線をベースにしながら、衡平の原則を具現化するような適切な線引きを求めるべきであろう。)
また、1970年初中期当時とは異なり、現在では「国連海洋法条約」が締結され、それが世界共通の「海の憲法」、統一的ルールとなっている。
とはいえ、残念ながら、同条約に規定される境界画定に関する成文のルールだけでは、相対国あるいは隣接国間での大陸棚分界につき、
等距離中間線をもって強制義務的な解決をはかることはできない。即ち、現行の海洋法条約では、合意がない場合、他の線引きが正当化
されない限り等距離中間線によってなされるものとする、という強制的義務規定ではない。これはかつての「大陸棚条約」の場合と
基本的に同じルールを踏襲している。
自然延長論による分界は、日本にとっては甚だしく不衡平を押しつけられるものとなる。世界にはそのような不衡平を一方の
当事国に押し付ける事例は見あたらない。「北海大陸棚事件」判決は一つの重要事例である。北海をはさんで英国とノルウェーが
相対し、ノルウェー西岸沖合に海盆があるがその中軸とすべきという分界ではなく、基本的には等距離中間線をベースにした
線引きが認められた。相対国があっても仮に420kmの距離があった場合、問題なく200+200で分界される。しかし、未満の場合海盆が存在することをもって分界はその
中軸とするという法理はない。
自然延長論は、沿岸国陸地の自然の延長が、相対国がなく離岸200海里以遠にまで延伸している場合、それを越えて「主権の及ぶ
海底」と「国際海底区域」との境界について論じ、そのためのクレームを行なうことは正当なものとみなされよう。には有効である。だがしかし、
相対国が400海里未満の距離で接する場合、その自然延長論が他の法理よりも最優先し、かつ衡平の原則を顧みず等距離中間線をはるかに
超越して適用されるべきものではないであろう。衡平ではない。
また、自然延長論は、一般的に「衡平の原則」を具現化するうえで第一義的に資する等距離中間線をさておいて最優先で適用される
べき基本原則ではないであろう。自然延長論が、相対国間の線引きにおいて、最優先かつ第一義的に適用される法理ではありえない。
また、陸地の自然延長には、その沿岸国の「近接性」が求められるものであり、延長論による沖縄海盆中軸までとする論拠は、
その近接性の原則からも大幅に逸脱するものであり、海盆は中国や韓国からして全く近接していない。
ところで、国際社会では、現在まで過去30年にわたり、現行の海洋法条約の下で、大陸棚の線引きを巡る国家慣行が累積され、
また国際司法裁判所などでの国際判例が積み重ねられてきた。そして、画定に関する国際慣習法的ルールが
漸次形成の途上にある。そこでは、日本の等距離中間線主義を補強できるような有利な「法形成」がなされつつあると見受けられる。
最早、中国・韓国に譲歩する必要はないし、またすべきではない。もちろん、日中韓の大陸棚の線引きを急ぐことも、焦ることもない。
相対する沿岸国間での線引きでは、その実務的観点から、先ず等距離中間線が尊重され、それをベースにしながらも、自然条件
を考慮に入れて、衡平の原則を具現化するとの観点から、多少の「逸脱」を容認しつつ調整を図ったうえで合意を図るとの慣行が
多く見受けられる。もっとも、いかなる自然条件についてどの程度を考慮し、どのように線引きの調整を図れば「衡平の原則」を具現化するかの、国家慣行および
慣習法上の統一的ルールはまだ見られない。
潮事務所長が作成した報告書によれば、日中の地理的な中間線は、偶然ではあるが、エカフェが発表した最も有望な厚い海底堆積層
をほぼ等分化する結果をもたらすという。このように、衡平の原則を具現化できるかもしれない、地質構造などの自然条件につき
分析を重ね、中間線をどのように微調整することができるか、あるいはすべきか、その方策を考察することも重要である。所長の取り組んだ日韓大陸棚境界に関する
調査研究の価値はそこにも見い出されよう。
今後の日中韓の境界画定においても、先ず当事国間で交渉する他ない。だがしかし、日韓、日中の画定はどこまでも平行線をたどり、
合意にいたることはほとんど期待しがたいと見受けられる。自然延長論と中環主義によって導き出される日中韓の境界線では、政治的譲歩や妥協を得るには
余りに隔たりが大きい。二者間でそれぞれの法理を闘わせ、他方をねじ伏せるかのような外交協議は、適当な時点で
見切りを付けざるをえないであろう。(中韓から譲歩を引き出して日本が論じる等距離中間線に同意で合意するとはとても思えない。)
日中・日韓の二国間同士で合意できる見込みがほとんどなければ、唯一の最善の策は、二者間で直接
交渉や論争をするのではなく、第3者即ち裁判官を間に立てて、双方が喧々諤々の意見を交わし論争することである。
即ち、国際司法裁判所(ICJ)や「海洋法裁判所」の裁判官の前で法的論争をすることである。裁判官にその法的判断を委ねることである。
司法的解決の手続きに訴え続けることが、究極的にベストな戦略的選択であると思われる。
日中韓がICJに付託できれば、当事国同士が自らの主張を論述し合っても徒労に終わることはない。不毛な論争に終止符が
打たれる唯一の方法にみえる。判決をベースに交渉を続けることもできよう。現行の国際慣習法と成文国際法に則り、中立的で妥当な
判断が下され、平和的解決と地域の平和と安定につながろう。
二国間交渉に備えるという本来の意味もあるが、国際司法の場での論争にも備え、過去の国際司法判例と今後も積み重なり行く
国家慣行を分析し続け、理論武装を強固にしておくことが肝要である。それこそが日本が行使できる最大の平和的手段による「盾」
となろう。中国も、韓国もICJなどに付託することに同意を引き出すのはなかなか難しいに違いない。中韓が司法的解決への努力をせず、理不尽な自然延長論
に固執することの是非を世界に問い続けることに大きな戦略的意味がある。他方で、国際司法の場で解決するよう国際世論の支持と
後押しを引き出すことである。今後「100年の論争」を覚悟することになろう。
その間に、日本に有利な国際慣習法の形成がさらに漸進し、ほぼ間違いなく等距離中間線が慣習法として国際社会で認識される
ものと期待したい。中国、韓国は、国際司法の場での解決になかなか合意しなくとも、日本としては、国際司法の場で陳述し合う
ことの機が熟すまで待つことである。中韓がICJなどへの付託に同意するまで待つことにするのがよい。その環境が整うまで機を
待つのがよい。いつしか将来、裁判官の前で論戦し、国際法に基づいての中立的公正な判断をあおぐのが究極的な解決への方途
となることを期待したい。だが他方で、中国・韓国はそれを望みそうにない。故に、「100年論争」を覚悟せねばならないだろう。
厄介なのは尖閣諸島の領土帰属をめぐる対峙である。東シナ海での大陸棚画定ではそれを避けて通れない最も厄介な問題である。
尖閣諸島の帰属についても、同時に国際司法判断を求め、その決着を付けることができるであろうか。大陸棚の線引きと併せて
付託できればよいが、日本も中国もそれを認めるであろうか。日本が受け入れても、中国はなさそうである。だが、それについても
織り込み済みである。線引きはやはりデッドロックに陥ることになろう。「100年論争」ではなく、優にそれ以上の争いになる
所以である。尖閣問題にケリがつかない限り、最終的な線引きの合意は無理難題である。
しかも、事は大陸棚の境界画定、尖閣帰属争いにとどまりそうにない。中国の東シナ海、南シナ海、そして西太平洋における
海洋進出を希求する中国の戦略が絡む。中国にとって、東シナ海や西太平洋での海洋覇権や力の支配を目論む上で、尖閣諸島を我が物にする
というのはまさに核心的利益である。尖閣諸島を支配下に置くためにいつしか実力行使に及ぶかもしれない。その
可能性が全くないとは言い切れない。ゆめゆめ武力行使は絶対回避。だが中国は何かをきっかきに、何かの口実を
でっち上げ尖閣を支配下に置こうとすることはありうる。台湾統一とも密接に絡むことにもなろう。
打開の希望はあるのか。どんな希望がありうるのか。国際判例の行方や慣習国際法の形成を見極めつつ、さらに国際司法の場での
日中解決を正論として主張し続け、国際社会の支持を得て行くことが肝要である。しかし、時間だけはかかる。少なくとも100年、あるいはそれ以上の年限での
論争を覚悟せねばならないかも知れない。
だが、時を経へれば経るほど、大陸棚の線引きにとって、日本の有利性が強化され続けよう。沖縄海盆の存在など取るに足らないことに
なろに違いない。
かくして、長期の国家戦略として常時対処すべき幾つかの事項がある。
その一、尖閣諸島には他国人を上陸させないこと、占拠されぬようにすること。
その二、等距離中間線以南の大陸棚での中国・韓国による海底資源などの探査・開発活動を座視して認めないこと。非正当性を訴え
続けること。
その三、大陸棚境界画定などの問題につき、国際司法の場での解決をたえず訴え続けること。
その四、国際司法の場での論争のための準備を怠らず、法的「盾」をたえず強固にすること、である。
中国がその公船をもって尖閣諸島周辺の接続水域、時に領海への侵入をやめない限り、大陸棚の線引きの協議などありえないであろう。
まして、中国にとって、尖閣諸島の帰属につき何らかの中国満足の行く決着を見ない限り、線引きの協議は前進しようもないであろう。
中国の満足の行く決着とは、領土主権を自らの物にすることである。だから、日本固有の領土という現状の下では、
中国は線引きなどを協議するつもりは鼻からないと思われる。それ故に、論争は100年というより無期限的に続く恐れがある。
それでも、線引きを急ぐことも焦ることも全くない。だが、中国が法理をもって論争し平和的に解決しようという国家意思
を示すまで、日本は我慢強く耐え抜く覚悟がいる。中国が二国間の外交的解決あるいは司法的解決を求めるまで覚悟がいる。
さて、虎の門の事務所では、海洋の調査研究が自らの本分であるが、報告書作成でも十分な働きができず、また事務所の
定期的収入面でも十分貢献できず、さらに何がしかの調査研究ビジネスもなかなか見えて来なかった。公私とも将来の見通しがたたない
長いトンネルに入り込み、一人悶々とした日々を過ごしていた。だが、天は我を見捨てなかった。
そのトンネルを抜け出るための偶然と奇跡的な出来事に遭遇することになった。1976年の桜が咲く4月上旬のことであった。
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故に、等距離・中間線をベースにして線引き後、衡平の原則を具現できるよう調整することが最も正当で合理性があると
思料される。また、概ねにおいて、現行海洋法条約法や国際判例によって形成されてきた国際慣習法に沿うものである。
中間線をベースに窪みや地質構造で調整したり、場合によっては堆積層などを等分化のため、調整されよう。
ルールが曖昧で、衡平な画定のために考慮すべき要素がいろいろ。ミニマム一致しているルールのは、、、、、。である。
。要は等距離中間線で引き、諸々のどの要素条件をどこまで考慮してどの程度調整するかである。
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1985年のリビア・マルタ大陸棚判決以降、主流派自然延長線から中間線へと代わっている。
中国は南シナ海での海洋覇権や支配を力づくで握ろうと躍起である。フィリピンとの仲裁判決において、中国は九段線での広大な
海域での主権を主張したが、主権の主張は退けられた。東シナ海でもめざすところは究極的に海洋覇権や支配主義と同じである。
ECAFEの発表以来、中国は尖閣諸島の領有権の主張を始めた。日本がそれを国有化したことで、公船をもって領海侵犯などを執拗に
繰り返す。現在は、東シナ海も力の対決の場になっている。中国は法の支配、法による解決を臨むのか。
協議にも望まない。力による脅かし、示威行動の繰り返す。
法理によるよりも東シナ海の力での支配をねらう。中間線付近での共同開発についても
協議に応じない。中国の侵犯などの客観的データをもって、中国の異様さを世界に発信し続けることが肝である。そして、
大陸棚の画定につき、国際司法の場での付託に誘い込むようにするのが日本にとっての、唯一の解決策である。
二国間で無益な法理を闘わせ論争をするのではなく、国際司法の場でそれらの法理を闘わせることを戦略とすべき。
それには、司法解決に付託に同意しないことの理不尽と異様異形を国際社会に示し続けることが肝要である。
まず、交渉しても意義がないわけではないが。二国間で法的論争を繰り返しても、デッドロックに至るだけである。韓国とも同じである。
東海や南海が平和と秩序のある海になるかは、周辺国や関係国の課題を真剣に本気に解決しようという意思、施政権者の意思に
全てがかかっている。その意思がないところに解決も、平和もない。協議と協調によって対立・対峙・個別具体的争いを
解決、乗り越える意思があるか? なければ、永遠に平和も秩序もない。ましてその戦略が優先されるのであれば、同じく
米中の雌雄が決する時代世紀まで持越しとなる。
だが目の前の課題だけではない。米中の世紀にわたる覇権、世界支配を争う限り、東海も南海も大きな世界的視野と戦略の中で
支配覇権を争い、大陸棚画定も尖閣もその中で捉えられることになり、それだけを当事国間で解決することは極めてむずかしい。→
100年の戦いとなる所以。平和と秩序は具体個別課題、問題争いを座視することからは構築できない。
東海、南海の平和な海を望むが、現在の中国では=一党独裁の非民主的政権の中国では、あらゆる覇権を力ずくで求める
中国では、今後50-,100年、否それ以上は不可能。静かに話し合える環境なし、問題を解決する意思もない、
尖閣諸島への公船による領海、接続水域への侵入、侵犯をみよ。尖閣を隙あれば狙う、実力行使によよぶ、絶対取られるな、
上陸させるな。これから米中の世界の覇権、支配をめぐる争いは始まったばかり、パックスアメリカーナとパックスチャイナの
闘いのゲームである。
中国は南海、東海の覇権と支配を求め、日米を遠ざけようとしている。南海見よ、法でなく力の支配、実力行使、
その中での大陸棚、尖閣を巡る戦いである。長い長い争いになるかも。希望はある。
協議、司法解決の環境を整えることが大事。その機が熟すのを待つのに100年はかかる。逆説的に言えば、100年と言うのは予見できる将来
解決の目途はないということ。
当事国同士ではもはや合意・解決できない。故に第三者機関の国際司法にゆだねる他、合意にいたる道筋を見い出せないと
考え、その道を描くにいたった時に、尖閣も含めて大陸棚の分界に光が見えよう。
100年海洋、200年か、誰もわからない。
......................................................
・ 当時、どんな法理展開でどんな別の選択があったのか。
法理論的に見ればどうなのか。つまり当時の大陸棚画定に適用されるルールは何であり、いかなる画定が合理的で正当妥当であったのか。
それもいずれ考えて見たい。
・ 2020年現在どんな法理でどんな合意が妥当か。
図解選べ。
カメラで撮った資料・国際問題研究所の資料探す。
*その報告書は国会図書館に保管されているか確認要。
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