画像1・2の展示ヨットは、国際ヨットレース「アメリカズカップ」に初挑戦するためにニッポンチャレンジチームによって建造
されたアメリカズカップクラス艇の「ニッポン号」である。JR東海道線・蒲郡駅前のロータリーに設置されている。
「アメリカズカップ 兆戦の航跡」と題するニッポン号展示パネルには概略次のように記される。1851年に第一回万国博覧会がロンドン
で開催されたのを記念して、ドーバー海峡(英国海峡)に面したワイト島を周回するヨットレースが行われた。その時優勝した
「アメリカ号」へ授与された純銀製の優勝カップが、後に「アメリカズカップ」と称されるようになった。その後1870年になって
同純銀製カップをめぐって「第一回アメリカズカップレース」が行われた。
それ以来、世界中の国々のヨットクラブが、ヨットの建造・艤装から帆走に至るまでの、国家としてヨットチームとして持ちうる
あらゆる技術を出し尽くし、当該参加国の威信を賭け総力をもって戦うという世界最高峰の国際ヨットレースが繰り広げられてきた。
日本からは、1992年、1995年、2000年の3度の挑戦を果たしてきた。
(注)艇の登録番号「JPN-3」の数字3は、世界中のアメリカズカップ艇の中で3番目に登録されたことを示す。
なお、蒲郡市には、1988年から2001年までアメリカズカップ・ニッポンチャレンジの活動のためのベースキャンプが置かれていた。
アメリカズカップ挑戦者「ニッポン」艇の主要諸元
全長: 23.2m
全高: 37.8m
全幅: 5.5m
マスト高: 32.6m
重量: 25t
搭乗人員: 16名(レース時には16名のクルーが乗り込み操船した)
3
4
画像3,4のアメリカズカップクラス艇は「蒲郡生命の海博物館」のすぐ南側の空地に展示される。ニッポンチャレンジが
日本として初めて同カップレースに挑戦するために建造したレース艇「JNP-6」である(数字6は世界中の同カップクラス艇の中で6番目
に登録されたことを示す)。全長約23m、幅5m、重さ25トンで、レース時には16名のクルーが乗り込み操船した(「アメリカズ
カップの航跡」と題する展示説明パネル参照)。
[参考] 同パネルには「ニッポンチャレンジの航跡」と題して以下の年表が記される。
1987年 蒲郡にベースキャンプが設置される。
1992年 米国サンディエゴでの第28回アメリカズカップにおいて、ニッポンチャレンジが第一回のチャレンジを果たす。挑戦者を
決定するセミファイナルにおいて第4位。スキッパーはクリス・ディクソン。優勝者は米国の「アメリカ3」艇。
1995年 米国サンディエゴでの第29回アメリカズカップにおいて、ニッポンチャレンジが第二回のチャレンジを果たす。挑戦者を
決定するセミファイナルにおいて第4位。スキッパーは南波誠。優勝者はニュージーランドの「ブラックマジック」艇。
2000年 ニュージーランドのオークランド沖での第30回アメリカズカップにおいて、ニッポンチャレンジが第三回のチャレンジを果たす。
挑戦者を決定するセミファイナルにおいて第4位。スキッパーはピーター・ギルモア。優勝者はニュージーランドの「チーム:
ニュージーランド」艇。
[画像1~4撮影年月日:2024.12.21/場所: JR東海道線・蒲郡駅前のロータリー、およびにて「蒲郡生命の海博物館」南側
の展示場にて]