東京・台東区の「山谷堀(さんやぼり)公園」(地図参照)内に設置された、「猪牙舟」と題する案内板によれば、猪牙舟は細長く
尖った屋根のない形で、江戸時代から市中の水路で使われていた。遊郭が日本橋の吉原から浅草北側の「新吉原」へ移転した後、
遊客(ゆうかく)が猪牙舟を用いて「山谷堀」をよく通ったため、「山谷船(さんやぶね)」とも呼ばれていた。舟の長さは約30尺、
幅は4尺6寸と細長く、速度の速い舟であった。1尺=30.3㎝、1寸=3.03㎝。
画像1の正面には花魁(おいらん)らしき女性2人が、新・吉原辺りから猪牙舟で「山谷堀」を下り、まさに隅田川の大川に出んとする風景を
描いたものであろう。「江戸名所 草木尽(そうもくずくし) 首尾(しゅび)の松(台東区立中央図書館所蔵)」と題される、歌川国芳の作である。
「猪牙舟」と題して「山谷堀公園」内の案内板に掲示される。
画像2: キャプションには「猪牙舟(再現)」(協力:江東区深川江戸資料館)と記される。山谷堀公園内に設置の「猪牙舟」
と題する案内板より。
画像3は隅田川沿いの「隅田公園」の欄干に施された、江戸時代に隅田川を行き来した屋形船や、江戸市中の水路を往来した猪牙舟をモチーフ
にしたものである。
なお、「明暦の大火」(1657年・明暦3年)の後、幕府の命により、日本橋にあった遊廓・吉原は浅草北側の農村部(浅草千束村/現・
台東区千束)に移転させられ、「新吉原」が誕生した。遊郭の周囲には髙い塀と「おはぐろどぶ」が張り巡らされ、
出入り口は吉原大門の一ケ所のみであった。最盛期には3,000人の遊女が在籍していた。新・吉原に向かう遊客(ゆうかく)相手の茶屋などが
「日本堤」沿いに建ち並んでいた。
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地図の拡大画像
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出所:吉原神社
[撮影年月日:2025.03.22/場所: 山谷堀公園内設置の案内板より][拡大画像(x29442.jpg)]