「舞鶴引揚記念館」(京都府舞鶴市)に掲示される、「引き揚げと舞鶴」と題するパネルによれば、
1)海外にいた約660万人の日本人の引き揚げは、1945年(昭和20年)9月に米軍管区から開始された。
2)英国軍管区、中国軍管区からの引き揚げは、昭和22年中にほぼ終了した。
3)ソ連軍管区からの引き揚げは、昭和21年から始まったが、容易には進展しなかった。
4)日本国内各地に引揚港が設けられ、昭和25年以降、舞鶴港が国内唯一の引揚港となり、昭和33年の終了までに
延べ346隻の引揚船と約66万人の引揚者を受け入れた。
画像1・3は昭和31年(1956年)12月24日早朝ナホトカ港を出航し、シベリアからの最後の引揚げ船となった「興安丸」である。
同12月26日に舞鶴港へ到着した。
「興安丸」の要目: トン数: 7,077t、速力: 23.1ノット、登録寸法: 127.5×17.4m、
建造年: 昭和12年、船の種類: 貨客船、主な引揚地:ナホトカ、真岡、秦皇島、塘沽、就航回数: 20回、引揚乗船者
総数: 17,891名
画像2は引揚船「興安丸」で実際に時を告げていた時鐘である。30分に一度打鐘された。
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「引揚記念館」には数十隻の引揚船の模型が展示される。
[撮影年月日:2024.06.11/場所:「舞鶴引揚記念館」にて]