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1. 大森貝塚遺跡庭園のパネルに展示される「大森貝塚に人が住んでいた時期(縄文後晩期)と現在の海岸線」の図。(最左下)大森貝塚の
位置。[出典: 品川区立大森貝塚遺跡庭園] [拡大画像: x28220.jpg]
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2. 「大森貝塚発掘のようす」を示す、「大森貝塚発掘調査報告書 Shell Mounds of Omori」収蔵の図絵。 [出典: 品川区立品川歴史館]
[拡大画像: x28222.jpg]
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3. 出土品運搬風景を描いたモース博士のスケッチ。「日本その日その日(Japan Day by Day)」に掲載されたもの。
[出典: 品川区立品川歴史館] [拡大画像: x28225.jpg]
4. モース博士写真。[出典: 同歴史館] [拡大画像: x28223.jpg]
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5 & 6. 「大森貝塚貝層標本: 縄文時代晩期 1984年の発掘で発見された貝層の標本」。貝層にはその時代の人々の暮らしを解く鍵が
数多く詰まっている。さまざまな海産魚貝類、陸上生物や鳥の骨が出土した。[出典: 同歴史館]
[拡大画像: x28226.jpg][拡大画像: x27462.jpg]
(1) 「品川区立大森貝塚遺跡庭園 Omori Shell Mounds Garden」: 縄文時代には庭園のある付近が海岸線であった。園内には実際に
貝塚が発見された地点がある。また、園内には「大森貝塚の碑(Omori Shell Mounds Monument)」(品川区側)が建立されている。
1877年(明治10年)に博士が貝塚を発見したことを記念して建立されたものである。現在は品川区によって庭園として整備公開されている。
国指定史跡。
(2) また、JR大森駅近くには「大森貝墟碑」(大田区側) が建立されている。国指定史跡。
現在、上記の通り2つの記念碑がある。両方とも大森貝塚の分布する範囲であるが、いずれがモース博士の発掘地かをめぐって論争があった。
調査の結果、品川区の「大森貝塚の碑」付近であったことが判明した。大森貝塚は品川区大井6丁目から大田区にかけてあったが、
現在は品川区側に残っている。
大森貝塚は、モース博士が日本で初めて科学的学術調査を行い、その発掘調査報告書が作成された貝塚であったことから「日本考古学の発祥の
地」と言われる。縄文時代後期から晩期の貝塚遺跡(今から約2,500~3,000年前)で、当時の海岸線、人々の暮らしなどが明らかにされた。
遺跡出土品は品川歴史館にて展示される。
大森貝塚からの出土品:
貝類の他、鹿・猪などの獣骨、模様のある土器、石斧(せきふ)や石剣などの石器・骨角器(こっかくき; 釣り針、銛先など)などが出土した。
貝塚から見えてくる人々の食生活として、魚貝類、海藻、根菜などのごった煮、干した貝、木の実、どんぐりなどを擂り潰して焼いたクッキー
やパンなどを食していたと考えられている。
モース博士略史(1838年~1925年)
・ 1838年、米国メイン州ポートランドに生まれる。
・ 1859年、ダーウィンの「種の起源」が刊行される。
・ 1877年(明治10年)、38歳の時に腕足類の研究と採集のために来日する。横浜に着いたモース
博士は同年6月19日横浜から新橋に向かう列車の窓から、線路工事によって崖面が現われた貝層を発見した(大森貝塚の発見)。
・ 同年9月から数回の発掘調査を行なう。
・ 同年10月6日、日本 (東京大学) で初めて「進化論」を講演し紹介した。
・ 1879年7月、大森貝塚発掘調査報告書「Shell Mounds of Omori」 (by Edward S. Morse, Professor of Zoology; published by the
University of Tokio, Japan; 1879) を刊行した。
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