江戸時代末期の1858年の安政の五ヵ国条約でもって兵庫は開港されることになった。その後、1868年1月1日 (慶応3年12月7日) になって、
兵庫(神戸)は開港され、近代港湾への歩みを始めた。開港当時は、旧湊川よりも西側を兵庫港、東側を神戸港としていたが、
1892年 (明治25年) から両港を合わせて神戸港と呼ばれるようになった。
[注] 1901年 (明治34年) に湊川の付け替え工事は竣工した。下図2の左端に新湊川、中央の川崎造船所左に旧湊川がある。
兵庫では1876年 (明治9年) に新川運河が竣工し、安全な船泊まりができるようになった。さらに1899年 (明治32年) に、
西方 (東尻池) から伸びる兵庫運河が完成し、新川運河と結ばれた。その結果、船が西方から和田岬を周回せずに神戸港へ入港
できるようになった。
画像は新川運河にメザシの串刺しのようにFRP製小型漁船が係留されている舟溜まりの風景である。新川運河は短くとも
れっきとした運河である。東京・千葉や阪神・堺などの湾岸地帯でよく見られる、埋立地の間に残される海の通路を
運河と称しているものではない。当初はわずかに内陸部を開削した運河であったが、後に兵庫運河と結びつくことによって、
船舶は和田岬を周回せずに、兵庫港や神戸港へ入港することができるようになった。その意義は大きかった。
* 辞典内関連サイトの和田岬が突き出した昔の地理的状況を示す図絵についてはこちらをご覧ください。
[画像撮影: 2012.5.31 神戸市兵庫区の新川運河にて][拡大画像: x24608.jpg]
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