一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
ガレオン船サンディエゴ号 (その 1 )/沈没の系譜と海底引き揚げ
[フィリピン・マニラ/国立民族学博物館]
画像はマニラの国立民族学博物館に展示されるガレオン船のサンディエゴ号の模型である。模型は1995年にロバート・カーペンティエ
によって製作された。縮尺は1/50。 16世紀のガレオン船であるサンディエゴ号は、バスク、中国、フィリピンの造船者によって、フィリピン産のさまざまな木材を使って、 1590年にマニラで建造された3檣 (3本マスト) の貿易船であった。だが、年代は定かではないが、後に武装が施され軍船に仕立てられた。 サンディエゴ号は、フィリピン・マニラ湾外のマニラから南西50kmほどにあるフォーチュン島 (Fortune Island)の沖1.4km (8マイル) の 水深50メートル(180ft)ほどの海底で、船の残骸が発見された。フィリピン水域に侵入してきたオランダの海賊船モーリシャス号と 戦闘を交えた結果、1600年12月14日午後3時頃に沈没したものである。 サンディエゴ号はアントニオ・デ・モルガ (1559 - 1636年) によって指揮され、他方オランダ船モーリシャス号はオリヴィエール・バン・ モールトによって指揮されていた。サンディエゴ号の全長は約35~40メートル、幅約12メートル、高さ8メートルで、少なくとも4層の 甲板をもち、また約700トンの貨物を積載することができ、モーリシャス号よりも4倍も大きかった。 サンティアゴ号にはマニラの要塞から運び込まれた大砲14門が装備され、また当時450人もの休養中の兵員を乗船させていた。 不幸にも、サンディエゴ号の弱みは、人員、兵器、弾薬類を多く搭載する一方で、操縦性を容易にするためのバラストの積載量が余りにも少ない 状態にあった。さらに艦長モルガンの経験不足もあったために、結局は船を沈没から守り貫くことができなかった。
サンディエゴ号の探査・発掘について
(1) サンディエゴ号の艦長アントニオ・デ・モルガ Antonio de Morga (1559 - 1636年) の略歴
(2) モーリシャス号の船長オリヴィエール・バン・モールト Olivier van Noort (1558/9 - 1627年)の略歴 [参考] ガレオン船サンディエゴ号の沈没の系譜、海底遺物の発掘などに関する展示パネルの 説明書き (英語版) [画像撮影: 2018.3.24 フィリピン・マニラ/アヤラ博物館にて][拡大画像: x28162.jpg] |
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