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一枚の特選フォト「海 & 船」

One Selected Photo "Oceans & Ships"

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    「太地捕鯨の祖」和田忠兵衛(わだちゅうべい )頼元の墓

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    画像1: 観光案内銘板の真横右隣に立つ墓石の真ん前に立つのが和田忠兵衛頼元の墓である。
    画像2: 太地町街中の観光広報掲示板「日本遺産 鯨とともに生きる」と題する掲示板より。
    画像3: 太地家の一族が眠る「順心寺」。



    紀州の太地(たいじ)は古くから捕鯨の町・鯨類の町として知られる。因みに、 1217年に、太地浦で槍や弓、刀などで鯨を捕獲した。江戸時代の1606年には、「太地捕鯨の祖」とされる和田頼元が、紀州にて、 突取式による組織的な捕鯨(刺し手組)を開始した。

    さて、太地の街中にある「順心寺」には、「太地捕鯨の祖」と言われる和田忠兵衛(わだちゅうべい )頼元の墓(Gravesite of Wada Chubei Yorimoto, Whaling Founder)があるが、その 墓石の左後方に立つ観光案内銘板には、次のように記される。

       和田合戦(注:13世紀)に敗れた朝比奈三郎義秀が流浪の末に太地にたどり着き、頼秀が生まれて和田家の元祖となったと伝え られている。
       その子孫である和田忠兵衛頼元は、慶長11年(1606)になって泉州堺(堺市)の伊右衛門、そして尾州師崎(もろざき)(南知多町) の伝次の協力を得て組織的な捕鯨を始めた。

    (注)「太地捕鯨の祖」と言われる和田忠兵衛頼元の孫にあたるのが、「網掛突取捕鯨の祖」といわれる 太地角右衛門(たいじかくえもん(和田角右衛門頼治のこと)頼治 (Taiji Kakuemon Yoriharu, a pioneer of whaling by netting and harpooning)である。紀州藩主から「太地」の姓を賜り、 和田姓から太地姓に改めた。

    [撮影年月日:2024.09.06/場所: 太地町・順心寺の境内にて]


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