高瀬舟の模型
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画像は、赤穂市坂越地区の「旧坂越浦会所」に展示される高瀬舟の模型(縮尺1/10)である。同所の案内パネルでは次のように記される。
坂越と船運にまつわる記録は古く、文安年間(1445~1446年)に、坂越および中庄(なかのしょう)(現在の
赤穂市中広)から兵庫津(神戸市)への入船記録が残されている(「兵庫北関入船納帳」)。
江戸時代になると、赤穂城下町の発展や製塩業の発達等を背景として、年貢米や燃料となる薪や木材等が、千種川上流
(佐用町:旧上月町)から高瀬舟で運ばれました。
坂越高谷 (たかや) には化成期 (かせいき) (1804~1830年)に高瀬舟の舟着場が設けられ、活況を呈していたといわれている。こうした
物資は西廻り航路の一港であった坂越などから、廻船によって大阪方面に運ばれました。
[撮影年月日:2024.06.05/場所: 赤穂市坂越地区の「旧坂越浦会所」]
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