北陸・福井県の九頭竜川河口部に位置する三国湊は古くから海運業で栄えた港町である。
江戸時代には福井藩領内の河川舟運の重要拠点として、また同藩の外港として
発展するとともに、西廻りの日本海海運における北前船の寄港地としても発展した。
「幕末の記録によると、三国湊は家屋数1,500軒、人口5,500人を超える、日本海沿岸でも
有数の大湊であった」と、龍翔博物館では記されている。
画像は同館に展示される「三国湊の蔵並模型(くらなみもけい) 1877年(明治10)ころ、スケール:1/100」と
題するジオラマである。明治時代前期の繁栄していた頃の三国湊の一区画が復元されている。
川には、米・笏谷石・赤瓦などの商品を運ぶ小舟と、それらを湊から運び出す大船が行き来する様子が
ジオラマ化されている。
なお、明治時代には、同河口部の港にたまる堆砂現象を克服するために西洋式突堤が築造され、
現在でも河口から突き出した突堤を見ることができる。
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画像1:三国湊の位置図
画像2:図絵ではかつての三国湊と蔵並模型の範囲が示されている。
[画像撮影年月日:2024.06.09/場所: 福井県「坂井市龍翔博物館」にて]
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