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一枚の特選フォト「海 & 船」

One Selected Photo "Oceans & Ships"

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    宣教師F.ザビエルが幾度となく眺めたはずの平戸瀬戸の海 [フランシスコ・ザビエル記念碑]

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    画像1・2は、イエズス会創設メンバーの一人である宣教師・聖フランシス・ザビエル (St.Francis Xavier。 中国語の表記では 「方済各・沙勿略」) が、平戸に来着しキリスト教の布教活動の足跡を残したことを記念して、平戸の「崎方公園」内に建立された 「ザビエル記念碑」である。

    ザビエルは、ポルトガル王ジョアン3世の許可の下東方世界における布教活動の拠点づくりのため、 1541年4月、ポルトガル・リスボンを出立し、翌1542年5月インド・ゴアに到着した。そして、1549年4月、宣教師や日本人ヤジロウらと 共にゴアを出立し日本を目指した。先ずは1545年にマラッカを訪れ、その後さらに東アジア方面へと布教の旅に出た。

    さて、ザビエル一行は、薩摩半島・坊津を経て、1549年(天文18年)8月15日に鹿児島に来着し、日本に初めてキリスト教を伝えるに 至った。そして、1550年(天文19年)8月には、ザビエル一行は肥前・平戸に来着し、宣教活動を行った。

    同年10月下旬には京を目指し平戸を出立した。周防山口を経て京に来着したが、京での滞在にあっては宣教の思いを遂げることはできず、 失意のうちに、再び山口を経て1551年3月に平戸に戻った。ザビエルらは、7,8か月間の平戸滞在において、平戸の集落やその裏山から 幾度となくこの平戸瀬戸の海を眺めたに違いない。

    さて、ザビエルは1551年9月には豊後国(大分県)に赴き宣教したが、来日して約2年が経った1551年11月に豊後 (大分県) から 日本を離れた。ザビエルは滞日2年をもって一旦インドへ戻ることにしたのにはそれなりの深い想いがあった。かくして、 1552年2月15日にゴアに帰着した。

    日本での布教成功のためには、日本を文化的に先導してきた中国での布教活動が先決、不可欠であるとして、彼は1552年4月ゴアを 出立し中国本土を目指した。1552年8月末か9月に中国の上川島 (マカオの西方100kmの南シナ海) に到着した。そして、中国 本土での布教をめざしたが、上川島で病に倒れ本土上陸を果たせないまま上川島で同年12月3日この世を去った。 46歳であった。なお、上川島北部の象鼻山にザビエルの遺体が一時埋葬された。

    [画像1・2撮影年月日:2023.06.14/場所: 平戸の「崎方公園」にて]


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    画像2は九州本土側の田平港の「平戸瀬戸市場」より平戸瀬戸の海をはさんで平戸市街地を遠望するもの。右端の海岸線沿いに「オランダ商館倉庫」(4棟が建ち並ぶように見える館)が建つ。その左上の中腹に大きなホテル「国際観光 ホテル旗松亭」が建つが、その背後に伝・三浦按針墓地やザビエル記念碑のある「崎方公園」がある。 画面中央部には平戸市街地と平戸港が位置するが、港は凹形に奥まっているので見えない。左端の中腹に見えるのは平戸城である。  [拡大画像: x29256.jpg: 撮影日2023.6.16]

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    画像3: 海岸線中央にある館が「平戸オランダ商館倉庫」。画像4: 田平港と平戸大橋。右側の陸地が平戸島である。

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