平戸の「オランダ商館」の展示パネルの標題には「オランダ船船首飾木像 複製 松浦史料博物館所蔵」と記される。
展示される木像は複製だが、オリジナルは「松浦史料博物館」に所蔵されていると理解した。
展示パネルによれば、平戸オランダ商館とその昔取引をしていた小川理右衛門が建立した寺院に伝来したオランダ船の
木像の船首飾り(船首像)である。一体は笛吹きの木像、他体は手に絵巻をもつ木像で、いずれも航海の安全を祈り船を守る神と
して船首に据え付けられていたものとされる。塗料は剥げ落ちて傷みはかなり進んでいると見受けられる。
1600年にオランダ船「デ・リーフデ号」でウイリアム・アダムス(英国人;日本名・三浦按針)らは九州・豊後に漂着した。その後
徳川家康に外交顧問として重用され、領地250石の旗本に取り立てられた。彼は1609年、初めて平戸を訪れ、
その後平戸に居を構えた。平戸では、アダムスの仲介などの尽力をもってオランダ商館・イギリス商館の設置につながった。
さて、平戸に初めてオランダ船2隻が入港したのは1609年6月であった。オランダ商館(平戸和蘭商館)が平戸に設置されたのは同じく1609年
であった。また、イギリス船が初めて平戸に入港したのは1613年であった。そして、平戸にイギリス商館が設置されたのは同年のこと
であった。だが、イギリス商館は1623年に10年間存続した後に閉鎖され、日本から撤退するに至った。1639年には、幕府はポルトガル船の
日本来航を禁止した(鎖国の完成)。他方、オランダ商館は1641年に長崎の出島へと移転した。
かくして、船首像2体は江戸時代の何時頃に日本に来航したオランダ船のものであろうか。パネルにはその点何も記されていないが、
オランダ船の平戸初来航の1609年からオランダ商館の1641年の出島への移転までの間に平戸に来着したオランダ船
のものであるとすれば、極めて古い船首像といえる。大航海時代(地理的発見の時代)のオランダ古帆船の木像船首飾りが日本に
遺されていること自体真に驚きであり、国宝級遺産に値する史料であるに違いない。
[撮影年月日:2023.06.14/場所:「平戸オランダ商館」にて]