画像1~5は英国人ウイリアム・アダムス(三浦按針)が乗艦していたオランダ船「デ・リーフデ号」の模型である。
1564年に英国ケント州ジリンガムに生まれたアダムスは、12歳であった1576年に故郷を出て、テムズ川の畔のライムハウスで、
造船業者ニコラス・ディギンズに12年間にわたり航海技術などを学んだ。その後、1598年に5隻からなるオランダ東洋遠征艦隊
旗艦「ホープ号」(乗組員130名)に航海士(艦隊航海長)として乗り組み、初夏ロッテルダムを出港した。アダムス34歳の時である。
その後「ホープ号」から「デ・リーフデ号」(乗組員110名)へと移艦した。
1600年4月29日に「デ・リーフデ号」は、豊後・臼杵の佐志生(さしう)の浦(現在の黒島付近)に漂着するに至った。110名の船員
のうち、漂着時生存24名、到着後3名死亡。同年5月22日にはアダムスは、当時大坂に居た徳川家康と面談した。アダムスは後に
家康によって外交顧問として重用され、また現在の神奈川県三浦郡逸見村に家康から領地250石が与えられた。
1609年にはアダムスは初めて平戸を訪れ、彼の尽力をもって後にオランダ商館・イギリス商館が設置されることにつながった。
また、平戸を拠点に東南アジア貿易を始めたりもした。因みに、1619年には船長としてジャンク船に乗り込みトンキン(北ベトナム)
へ向かい、同年8月末頃には帰国したが、その後病気に臥せった。そして、1620年5月26日平戸で56歳にしてこの世を去った。