長崎・平戸市の「平戸オランダ商館」に展示される「平戸オランダ商館の設立」と題する案内パネルによれば、1609年2隻の
オランダ船が初めて平戸に来航した。そして、当時徳川家康に重用されていた英国人ウイリアム・アダムス(三浦按針)や、
平戸藩・松浦家の協力を得て、同オランダ船の使節団は徳川家康に謁見し、日本との交易の許可を得た後平戸に戻って来たという。
同年9月20日には「平戸オランダ商館」(Hirado Dutch Trading Post; De Nederlandse Factorij in Hirado)の設置が決定された。
かくして、江戸時代(1603-1868年)における日蘭貿易・文化交流の歴史の幕が開かれた。
画像は同パネルに添えられるモンタヌス著「東インド会社遣日使節紀行」の平戸商館図(‘De Logie op Firando' by Arnoldus Montanus)
である。平戸港口付近に建つオランダ商館建物群とその地先に停泊するオランダ船を描いた図絵である。パネルには図絵が何年に
描かれたものであるかの説明書きがない。
1609年に設置された平戸オランダ商館であったが、1637年に築造された石造倉庫や住居などの破壊が江戸幕府によって順次命じられた。
そして、1640年には、幾つかの理由があって、1639年に完成して間もない石造りの大型倉庫(注*)の破壊が命じられた。
1641年には平戸オランダ商館の長崎出島への移転が命じられた。かくして、33年間にわたる平戸交易時代の歴史に幕が下ろされた。
図絵には「1639年に築造された大型の石造倉庫」(現在平戸市内に復元されている倉庫)は描写されていない。
(*) 現在平戸市内に復元されている「平戸オランダ商館」のこと。1630年代以降急増していた交易品の保管のために1639年に築造
された大型の石造倉庫であり、平戸オランダ商館では最大規模のものであった。1638年12月に本格的に着工され、翌年7月にほぼ
完成した。巨大な木材や約2万個の砂岩の切石が用いられていた。
[辞典内関連サイト] 特選フォト「平戸オランダ商館」
[画像1の撮影年月日:2023.06.14/場所: 「平戸オランダ商館」にて]
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画像2は現在の平戸の市街地全景と平戸瀬戸。九州本土側の田平港の「平戸瀬戸市場」より平戸瀬戸をはさんで平戸市街地を遠望する。右端の海岸線沿いに復元された
「オランダ商館倉庫」(4棟が建ち並ぶように見える館)が建つ。その左上の中腹にホテル「国際観光ホテル旗松亭」が建つが、その
背後に伝・三浦按針墓地やザビエル記念碑のある「崎方公園」がある。
画面中央部には平戸市街地と平戸港が位置するが、港は凹形に奥まっているので見えない。左端の中腹に見えるのは平戸城である。
[拡大画像: x29256.jpg: 撮影日2023.6.16]
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画像3: 海岸線中央にある館が復元された「オランダ商館倉庫」。画像4: 田平港(九州本土側)と平戸大橋。右側の陸地が平戸島である。