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一枚の特選フォト「海 & 船」

One Selected Photo "Oceans & Ships"

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    平戸の海を見下ろす伝・英国人W.アダムス(三浦按針) の墓所とその発掘調査 [長崎・平戸市]

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    画像1撮影年月日:2023.06.14/場所: 平戸の「崎方公園」内にある伝・三浦按針墓地にて][拡大画像: x29247.jpg]


      画像1は英国人ウイリアム・アダムスこと、三浦按針の伝・墓所(平戸市)である。三浦按針は、1600年に九州豊後に漂着後、徳川家康に よって外交顧問として重用されたりした。後年、江戸を離れ平戸に居を構え、平戸でのオランダ商館やイギリス商館の設置に尽力したり、 平戸を拠点に東南アジア貿易に乗り出したりしていた。

      因みに、1619年3月に按針は、船長としてジャンク船に乗り込みトンキン(北ベトナム)へ向かい、同年8月末頃に帰国した。 帰国後病気に臥せ、1620年5月26日に平戸の居宅で没した。56歳であった。彼の墓地については長く語り継がれてきた。 平戸の「崎方公園」内にある伝・三浦按針墓地がそれである。画像1の右側の墓は「三浦按針夫婦塚」。

      1931年10月に関係者により発掘調査され、自然石の石塔地下から頭部・足の人骨と鉄釘が掘り出された。 2017年には、1931年に発掘された人骨が再度掘り起こされ、埋葬方法や形質学的特徴の調査、骨コラーゲンによる年代測定、 遺伝子配列を視るDNA調査などが行われた。

      鑑定の結果、人骨が按針のそれであることや、石塔が彼の墓であることが科学的に確定 した訳ではない。だがしかし、平戸で死去した外国人約70人のうち、現在では10人に絞り込まれているという。按針もそのうちの 一人であると推定されている。

      参照文献: 三浦按針没後400年事業実行委員会編集・発行(2020年)のパンフレット「三浦按針 平戸ゆかりの地めぐり  2020」ほか。



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    画像2は九州本土側の田平港の「平戸瀬戸市場」より平戸瀬戸をはさんで平戸市街地を遠望するもの。右端の海岸線沿いに「オランダ商館倉庫」(4棟が建ち並ぶように見える館)が建つ。その左上の中腹に大きなホテル「国際観光 ホテル旗松亭」が建つが、その背後に伝・三浦按針墓地やザビエル記念碑のある「崎方公園」がある。 画面中央部には平戸市街地と平戸港が位置するが、港は凹形に奥まっているので見えない。左端の中腹に見えるのは平戸城である。  [拡大画像: x29256.jpg: 撮影日2023.6.16]



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    画像3: 海岸線中央にある館が「オランダ商館倉庫」。画像4: 田平港と平戸大橋。右側の陸地が平戸島である。


    ウイリアム・アダムスの略歴など

      ・ 1550年、ポルトガル船が平戸に来航、宣教師フランシスコ・ザビエルが平戸に来着。布教活動により平戸に多くのキリスト 教徒が誕生する。
      ・ 1564年、アダムス、イギリスケント州ジリンガムに生まれる。
      ・ 1576年、12歳の時に故郷を出て、テムズ川畔のライムハウスで、造船業者ニコラス・ディギンズに12年間にわたり航海技術 などを学ぶ。

      ・ 1598年、5隻からなるオランダ東洋遠征艦隊旗艦「ホープ号」(乗組員130名)に航海士(艦隊航海長)として乗船し、初夏ロッテルダムを 出港する。アダムス34歳。その後「デ・リーフデ号」(乗組員110名)へ移乗する。
      ・ 1600年4月29日、「デ・リーフデ号」が、豊後・臼杵の「佐志生(さしう)の浦」(現在の黒島付近)に漂着する(110名の船員のうち、 漂着時生存者24名、到着後の死亡者3名)。同年5月22日アダムス、大坂の徳川家康と面談する。
      ・ 1600年末、イギリス東インド会社(ロンドン東インド会社)がエリザベス女王の特許により設立される。
      ・ 1602年3月、オランダ東インド会社(VOC) 設立される。

      ・ 1605年頃、家康の命により、現在の静岡県伊東(松川の河口)において、イギリス・タイプの帆船(日本初の洋式帆船、80トンクラス)を 建造する。その後、120トンクラスの大型帆船を完成した。
      なお、アダムスは、現在の神奈川県三浦郡逸見村に家康から領地250石が与えられた。西逸見町に所在する鹿島神社の場所にアダムスの 屋敷があったと伝わる。

      ・ 1609年、アダムスは初めて平戸を訪れる。なお、平戸では、アダムスの尽力をもって、後にオランダ商館・イギリス商館が設置されることに つながった。また、平戸を拠点に東南アジア貿易を始めることになった。
      ・ 1609年、オランダ商館(平戸和蘭商館)が平戸に設置される。
      ・ 1609年6月、平戸に初めてオランダ船2隻が入港する。そして、駿河で家康に面談したオランダ人使節一行は平戸に戻る途上において、 平戸を発ち大坂方面へ戻る途上にあったアダムスと、1609年9月4日牛窓(現・瀬戸内市)にて面会する。

      ・ 1613年、イギリス船が日本で初めて平戸に入港する。
      ・ 1613年、平戸にイギリス商館が設置される(だが、10年間で閉鎖されるに至る)。
      ・ 1614年、船長・アダムスの指揮の下「シー・アドベンチャー号」が川内港からシャム(タイ)に向け出港したが、暴風雨のため翌年1月沖縄・那覇に 避難した。その後平戸に戻る。サツマイモを持ち帰り平戸に伝える。
      [参考]オランダ商館・イギリス商館は平戸港の沿岸部に設置されたが、外洋航海に出立する船は通常川内港(平戸港から南西に6㎞程 にあって、より大きな入り江に面する)に錨を下ろしていた。また船の修理もそこで行われていた。

      ・ 1619年 アダムス、船長としてジャンク船に乗り込みトンキン(北ベトナム)へ向かう。8月末頃帰国するが、病気に臥せ翌年没する。
      ・ 1620年5月26日、アダムス、平戸にて死去する。56歳。
      ・ 1623年、イギリスが平戸イギリス商館を閉鎖し、日本から撤退する。
      ・ 1639年、幕府がポルトガル船の日本来航を禁止する(鎖国の完成)。
      ・ 1641年、オランダ商館(平戸和蘭商館)が長崎の出島へ移転する。

      参照文献: 同上パンフレット「三浦按針 平戸ゆかりの地めぐり 2020」など。

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