画像1&2は「八潮市立資料館」に展示される「石碇」(いしいかり)である。展示パネルには「年不詳(中世期)
実物 南川崎出土石碇 大山茂晴氏蔵」と記され、概略以下のような説明書きが付されている。
本資料は、1947年(昭和22年)頃に南川崎の「佐藤河岸場(さとうかしば)」の跡から出土した2基の石の碇である。
出土は地図(画像3)の星印の地点である。
鉄が貴重であった中世期のものと見られている。碇として使用されたのか、木製碇を沈める重石にしてなのかは定かでない。佐藤河岸は川崎村の
名主・佐藤家の私的な河岸であったが、中世期からの川の港「崎」あったとみられることなどが記される。
[注]
・ 八潮の東側を流れる「中川」は戦国時代頃まで「利根川」と呼ばれた大河で、船が海から遡航することができた。
[辞典内関連サイト: 利根川・荒川水系における河川改修の変遷(1590-1838年)]
・ 河岸場(かしば)とは船着き場のこと。石の碇を用いたこのような船では、帆柱が1本で筵(ムシロ)編みの帆が使われ、海を走行
する大きな船であったのではないかと考えられている。
[撮影年月日:2023.09.28/撮影場所: 八潮市立資料館/埼玉県八潮市南後谷763-50/電話: 048-997-6666]
[画像3の展示パネル: 拡大画像: x29287.jpg]
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