かつて千葉県山武郡九十九里町片貝に、町立の「九十九里いわし博物館(Iwashi Museum)」があったはずである。ネットなどで調べてみると、どうも休館中(または
閉館)らしいことが分かった。ずっと長く訪問を諦めていたところ、最近になって別の形で存続していることを探し当てた。
九十九里町小関の「道の駅・九十九里」に、「いわし資料館」(いわしの交流センター展示室)が併設されているようであった。
かくして、銚子・鹿島方面に出掛ける際に少し遠回りして訪ねることにした。
かつてイワシは多獲性魚種として、日本全国で年間何百万トンもの漁獲量があった。それにもかかわらず、2022年現在ではわずか数十万
トンレベルにまで落ち込んでいる。
・ 因みに、過去100年間(1900~2000年)の中では、日本でのイワシ漁は1980年代に大豊漁であった。
・ 1988年でのイワシの全国総漁獲量は450万トンであった。
・ だが、その後急減し、1990年代中期から現在まで、おおむね年間10万トン前後の漁獲が続いている。
諸条件の変化などの要因の調査研究がされているが、明確な真因は究明されているのであろうか。
同資料館においてその真因について何がしかの明解的な説明がなされているのではないかと期待しての訪問であった。
資料館はおそらく日本で唯一のイワシ漁業に特化した社会文化施設であろう。資料館は「道の駅・九十九里」の1階に併設される。
九十九里地域のイワシ漁に関する歴史、技術、文化などを将来の世代へ伝承しようと、サブテーマに沿ったパネル説明の他に、数多く
の貴重な展示品をコンパクトに陳列する。例えば、イワシ漁撈船の木造模型、船大工道具、干鰯・〆粕 (ほしか・しめかす) などの製造
関連用具、豊漁祝い時などにまとった「万祝 (まいわい)」など。主な展示サブテーマや展示品は以下のとおりである。
・ 「九十九里浜の繁栄」: 江戸時代、この地に「浜のゴールドラッシュ、、、」。木綿の普及とイワシ漁のはじまりについて。
・ 九十九里伝統の「大地曳網(おおじびきあみ)」のルーツ: それは紀州にあった。
・ 「漁法の変遷」: 紀州漁民が伝えたイワシ漁。大地曳網(おおじびきあみ)、片手地曳網、改良揚繰網の解説など。
・ 「漁の道具」: 手づくりの漁具、船づくりの文化。
・ 「干鰯と〆粕の製造」: 花形商品だったイワシ加工肥料。江戸期日本の産業・経済を支えた九十九里産イワシ肥料は「金肥(きんぴ)」
と呼ばれた。
・ 「イワシ加工品の流通」: 海陸の「イワシロード」が九十九里と全国各地をつないでいた。干鰯の輸送経路、九十九里の肥料生産力
について。
・ 九十九里の揚繰網漁法について。
・ 「漁民の精神文化(豊漁や海上安全を祈る幾多の祭礼や儀式)に触れる」: 万祝雛型本、船霊(ふなだま)、漁にまつわる絵馬などについて。
・ 船模型: 大地曳網漁の漁撈船。「逆網船(さかあみぶね)」(大地曳網漁を行なう2艘の船のうちの左側の船)と「真網船(まあ
みぶね)」(右側の船)[画像参照]。両側に船を展開してイワシの群れを網に追い込んだ後、陸人が岸の砂浜に網を手繰り寄せる。
・ 船模型: 関東周辺の港を結んだ輸送船「五大力船(ごだいりきせん)」。
・ 板に墨書(ぼくしょ)した「板図(いたず)」: 板図とは弁財船(北前船・千石船・菱垣廻船など)、五大力船などの和船の、板に記された
設計図のこと。
[撮影年月日:2023.02.15/場所: 千葉県山武郡九十九里町小関2347-98の「道の駅・九十九里」内の「いわし資料館」
(いわしの交流センター展示室)にて][拡大画像: x29203.jpg]
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