画像1は千葉・九十九里浜の「道の駅・九十九里」の中に併設される「いわし資料館」に展示される五大力船(ごだいりきせん)の模型である。
展示説明パネルには概略次のように記される。
五大力船とは、江戸時代関東周辺の港から港へ物資や人を輸送した、50~500石積級の廻船をいう。九十九里浜の特産品であった
干鰯(ほしか)の他、米穀、薪炭や旅客なども輸送した。主に海上輸送に用いられたが、河川でも航行できるよう
一般の廻船よりも喫水(船体のうち水中に沈んでいる部分の深さ)を浅くし、細長い船形となっている。
パネルには干鰯の輸送経路に関する図絵が添えられている(画像2)。九十九里浜地方で製造された干鰯が江戸へ出荷される
ようになったのは、元禄のはじめ(1690年)である。輸送方法としては五大力船による海上輸送と、馬による陸上輸送があった。
前者は外海廻りといい、松部・館山を経て深川へ、他方後者では東金街道を中野・蘇我へ、さらに登戸を経て、そこから船で深川
へと輸送された。
江戸時代、房総から浦賀の港を経由して輸送される物資も多くあった。浦賀にあった干鰯問屋の記録によれば、九十九里で年間生産
される干鰯と〆粕の量は82~83万俵(1853年の記録)と見込まれていた。
画像2 干鰯は九十九里浜から深川を経由して陸路あるいは海路をもって、西国方面へ輸送された。
その経路事例が示されている。
[撮影年月日:2022.05./場所:千葉県山武郡九十九里町小関2347-98の「道の駅・九十九里」の中に「いわし資料館」(いわしの
交流センター展示室][拡大画像: x29231.jpg]
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