一枚の特選フォト「海 & 船」
引き揚げ船「高砂丸」(船模型)
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画像は東京・西新宿の「平和祈念展示資料館」に展示された「高砂丸」の模型(縮尺100分の1)である。キャプションには「戦時中は病院船であった
高砂丸は、昭和20年9月25日、中部太平洋のメレヨン島からの引揚船として別府に入港。その後、中国、シベリアからの引揚
げに従事した」と記されている。
「高砂丸」主要目
竣工: 昭和12年4月28日 三菱重工業長崎造船所 総トン数: 9,315トン 登録寸法: 139.99×18.5メートル 出力・速力: 最高出力11,000馬力、最高速力20.158ノット 旅客定員: 1,079名 館内説明パネルによると、終戦後間もなく朝鮮南部や中国本土からの引き揚げが始まり、次いで南方や台湾からも順調に引き上げが 行われた。だが、ソ連の占領地域、例えば旧満州の場合ではソ連軍が撤退を始めた1946年(昭和21年)3月まで引き揚げできなかった。 同年4月に旧満州からの引き揚げが始まると、米国から貸し出しを受けた大量の艦船をもってわずか1年ほどで100万人 以上が帰国できた。だが、同じソ連占領地でも朝鮮北部や旧南樺太からの公式の引き揚げ開始は昭和21年12月からとなった。 海外から帰国を果たした引揚者は総勢約320万人にのぼった。引き揚げ途上において大勢の人々が亡くなったり、また残留孤児・婦人 となる人々を生み出すなどの悲劇も後を絶たなかった。 [参考]館内には「シベリア抑留者 舞鶴入港引揚船 一覧表」が掲示され、船名、入港回数、引揚総人員が記されている。 合計回数は230回に及び、引揚総人員は 453,850名であった。因みに、「高砂丸」は20回入港し、38,933名を迎え入れた。
引揚略史(参考資料:「平和祈念展示資料館」展示パネル等)
・ 1946年(昭和21年)4月、旧満州からの引き揚げ第一船が博多に入港する。10月までに、旧満州にいた民間人の約100万人が
葫蘆島の港から日本へ帰国する。
・ 1946年5月~6月、日本政府の要請により、米国が抑留者の送還につきソ連と交渉を始める。
・ また、1946年12月、朝鮮北部からの引き揚げ第一船「永禄丸」(えいろくまる)が興南(ふんなむ)より佐世保に入港する。
・ 1949年(昭和24年)10月、中華人民共和国成立。中国からの集団引き揚げが約3年半中断される。1953年3月北京協定に基づき中国から
の集団引き揚げが再開される。
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旧満州・朝鮮半島周辺概略図 [拡大画像: x29108.jpg]
[全画像・撮影年月日:2022.03.18/撮影場所: 東京・西新宿の「平和祈念展示資料館」/総務省委託] |