1859年(安政6年)に、山形県遊佐町青塚から北海道小樽の祝津へ出稼ぎに出た青山留吉は雇われ漁夫として働き始めた。
雇漁夫から身を起こした初代の留吉は、翌年には独立して差網漁家となり、その後ニシン漁場の権利を得るとともに、ニシン建網
漁で成功を収め、北海の漁業王と言われるまでになった。
ニシン漁で莫大な財を得た留吉は、2代目・政吉に家督を引き継ぎ、郷里の青塚において余生を送った。明治20年に青塚にて
邸宅の建築に着工し、3年の歳月をかけ明治23年に竣工させた。通称「ニシン御殿」と称される豪邸である(平成8年3月から一般
公開された)。
画像1・2はその「旧青山本邸」である。見学終了時間が過ぎていたので邸内への見学叶わなかった。国指定重要文化財となっている。
青山家はその後明治・大正時代を通じて代々に渡りニシン漁で巨万の富を築き上げた。
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