Page Top


一枚の特選フォト「海 & 船」

One Selected Photo "Oceans & Ships"

Back to: Top Page | 特選フォト「海&船」目次 (Ocean and Ship Photos) | ご覧のページ


    庄内米の回漕と千石船(模型) [酒田市・庄内米歴史資料館]


    山形県酒田市に「山居倉庫(Sankyo Warehouse)」と称される倉庫がある。現在11棟で構成されるが、そのうちの1棟が「庄内米歴史資料館」 となっている。右画像は同資料館に展示される、出羽の庄内米などを酒田から西廻り航路で大坂、江戸へと海上輸送した千石船の模型である。 下画像の絵図は、酒田を起点に西廻りで大坂へ、さらに江戸へ廻漕したことを示す航路図である。




    展示パネルによれば、江戸の大飢饉をきっかけに、江戸幕府は、1672年(寛文12年)に、出羽の米を酒田から下関、瀬戸内海を経由し、 大坂・京都、江戸へ回漕するために河村瑞賢に命じ西廻り航路を拓いた。それ以来、西廻り航路の御用船で遠路江戸まで米を回漕した。 この回漕に用いられたのが千石船である。またの呼び名を「弁財船 (弁才船・べんざいせん・べざいせん)」、「北前船」とも 言われ、米千石(150トン)を積み込み、酒田から江戸まで速いものでは26日間で運んだといわれる。 [注]1石=2.5俵=150㎏(1俵は60㎏)、1000石=2,500俵=150,000㎏=150トン

    倉庫は1893年(明治26年)に7棟が建設され、その後増築が繰り返され、1897年(明治30年)には合計15棟の規模となった。 その後幾つかの棟が移設などされたが、現在に見る倉庫群は明治時代に建設された15棟のうちの11棟である。 かつて1棟に約20,000俵の米を収容したという。現在の1棟当たりの最大収容能力は1,134トン(1表60㎏換算で18,900俵) である。同博物館では、米の歴史全般、コメの伝来と稲作の国内伝播、米の種類、世界の米生産と貿易、庄内平野と米生産などに ついて紹介されている。

    山居倉庫が建設された頃の米輸送は、庄内米はもちろんであるが、内陸産米も最上川や他の河川を利用して 酒田に集積された。そして、酒田港から船積みされ、大阪・北海道へと輸送された。 しかし、大正時代になって鉄道(陸羽西線・羽越線)が開通してからは、米の仕向け先は大きく様変わりした。船による大阪・北海道 への輸送よりも、鉄道による東京・神奈川方面への輸送が多くなったと、館内展示パネルは解説している。

    [撮影年月日:2022.05.31/場所: 山形県酒田市の山居倉庫/庄内米歴史資料館にて][拡大画像: x29145.jpg]


このページのトップに戻る /Back to the Pagetop


一枚の特選フォト「海 & 船」

One Selected Photo "Oceans & Ships"

Back to: Top Page | 特選フォト「海&船」目次 (Ocean and Ship Photos) | ご覧のページ