* 紀元前486年、京杭(けいこう)大運河建設が、当初、水路の整備から始まる (京杭大運河は現在も利用に供されている世界
最長の運河である)。
* 紀元前340年、黄河と長江が、運河と河川によって結ばれる。
* 紀元前220年頃 (秦の時代)、始皇帝により、長江 (揚子江) 支流と珠江支流との間にある分水嶺を越えて結ぶ運河が開削された。
現在の桂林の近くに立地するこの運河は「霊渠」と呼ばれる。
自然の川水と運河に必要な水とを使い分けながら、⌈斗門⌋と呼ばれる水門で水位調節がなされる。その技術は現在でも
高く評価されている。
霊渠は、鉄道が敷設されるまでの2200年にわたり、舟運だけでなく灌漑、洪水制御の機能を担って利用されてきた。
* 秦の時代、鄭国の渭水(いすい)盆地に⌈鄭国渠⌋が造作される。また、大治水灌漑事業の事例として、
成都の西北65kmの揚子江の支流・岷江(びんこう)の流れを、分水堤を造って二分し、その水を2,000本以上の灌漑用水路で導き、
成都平野に灌漑することによって、肥沃な土地を開発し農業生産力を増大させた。2000年以上経た現在にいたるも使用されている。
* 紀元後581年、文帝(楊堅・ようけん)、隋を建国し、大興城(だいこうじょう)(長安)に都を置く。
* 584年、文帝、大運河の建設を開始する:
・ 広通渠(こうつうきょ): 大興城(長安)から黄河へいたる (584年)。
・ 山陽瀆(さんようとく): 淮河(わいが)(または、淮水・わいすい)と長江(揚子江)を結ぶ (587年)。
* 605年~610年、煬帝(ようだい)(文帝の子)、華北と江南を結ぶ京杭大運河を完成する。すなわち、
・ 通済渠(つうさいきょ): 黄河と淮河を結ぶ (605年)。
・ 永済渠(えいさいきょ): 黄河から北京にいたる (608年)。
・ 江南河: 長江と余杭(よこう)(杭州)を結ぶ (610年)。
610年の隋時代に、軍隊輸送と税徴収のため、北京と杭州とが繋がり、現在の京杭大運河が完成する。
農業穀倉地帯として経済の中心である江南は、隋の首都・大興城が立地し政治の中心地である華北とが、直接的に、かつ政治・
経済的に結び付けられた。
大運河建設には数百万人の人民が使役され、また特別の重税が課せられた。
京杭大運河は、隋の時代以後も、軍隊の輸送、交易などのための物資輸送、治水・灌漑のために利用され、中国歴代王朝の経済的
発展に不可欠なインフラであった。運河の最終的な延長は1260年に終了した。総延長は1,795kmにも及ぶ。現在も部分的に利用されている [主に黄河と淮河の
間にある済寧 (現在の山東省に所在する) よりも南にある運河部分が利用されている]。
参考年史
618年、高祖(こうそ)、唐を建国、長安に都をおく。
626年、太宗(たいそう)、兄弟を殺害して即位。
629年~645年、玄奘(げんじょう)のインド旅行。
663年、高宗(こうそう)、百済(ひゃくさい)を滅ぼし(660年)、白村江(はくそんこう)の戦いで日本軍を破る。
668年、高宗、新羅(しんら)と結び、高句麗を滅ぼす。
671年~695年、義浄(ぎじょう)のインド旅行。
690年~705年、則天武后(そくてんぶこう)、周(しゅう)を建国。
894年、日本、遣唐使を廃止する。
* 984年、京杭大運河にチャンバーロックが建設される。チャンバーロック Chamber lock (パウンドロックとも呼ばれる) とは、
河川・水路などに設けられた二つの水門 (閘門、ロック lock) によって、その間に仕切られた水の空間
(これを閘室、またはチャンバー chamberと呼ぶ) のことをいう。
参照文献: 冊子⌈運河⌋ (埼玉県立・川の博物館が平成23年度春期企画展⌈世界の運河・日本の運河⌋
のために発行した出版物)、16-17ページ。
[2012.04.28 大運河図画像=埼玉県立・川の博物館、平成23年度春期企画展⌈世界の運河・日本の運河⌋
(平成24年3月10日~5月6日)での展示]
[拡大画像: x24803.jpg][拡大画像: x24879.jpg: 説明書き⌈ヨーロッパv.s.中国 紀元前の運河が現在も健在⌋]
[拡大画像: x24880.jpg: 地図⌈京杭大運河の変遷と霊渠⌋]
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