一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
パナマ運河 - 運河拡張計画/第3閘門建設&節水槽 *
パナマ運河拡張計画略史(1960年代以降) ・ 1968年、トリホス将軍が軍事クーデターにて政権を掌握する。同将軍はその後米国との「旧パナマ運河条約」の改定交渉に乗り出す。 ・ 1977年、パナマ運河の全面返還を含む「新運河条約」をカーター米国大統領との間で調印する。その後、米国上院でわずか1票差による 条約批准となった。 新条約には、現行運河に代わる代替運河建設のためのフィージビリティ調査(FS, 実現可能性調査)を米国・パナマで行う ことも規定される。 ・ 同調査に日本も参画することになり、1986年「三ヵ国パナマ運河代替案調査委員会」事務局がパナマシティに設立される。 ・ 1993年10月、「三ヵ国調査委員会」は、最適代替案として「第三閘門運河案」を3ヵ国政府に勧告する最終報告書を提出した。 ・ 1999年12月31日正午、パナマ運河は全面的にパナマに返還される。 米国南方軍、パナマから全面撤退する。 運河の管理運営権は新組織の「パナマ運河庁」(ACP) が担うことになる。 ・ 2006年4月、詳細調査を実施したACPは、その結果を「マスタープラン」(MP)として公開した。 ・ 同年10月、パナマ憲法に従い、「第三閘門運河案」の実施の是非を問う国民投票が実施され、是とされる。 ・ 2014年の竣工をめざして現在拡張計画(第三閘門建設、ガツン湖、クレブラカットの浚渫など)を施工中である。 現行運河の3か所の閘門 (下記概略図参照)、および新規の2つの閘門の安定したオペレーションには水資源の確保がさらに重要となる。 マスタープランでは、水源確保のためのダム建設は取り下げられており、替わって第三閘門に平行して節水槽が建設されること、 ガツン湖の航路およびクレブラカットを拡幅・浚渫して貯水量を増量することで、オペレーションに必要な水量を確保するとされた。
パナマ地峡の分水嶺から大西洋へと流れ下るリオ・チャグレス川が下流部で堰き止められて人工湖「ガツン湖」が、またその最上流部
でも堰き止められて人工湖「アラフエラ湖」が造られている。船舶通航がなされている前者の湖も、後者のそれも、閘門における
船舶の昇降に必要とされる大量の水源の貯留・調節において重要な機能を果たしている。 (終わり)
○ 参考文献: 「現代中米・カリブを読む」(小池康弘編、山川出版社、2008年)所収、「第6章 運河拡張メガ・プロジェクトと
パナマ: 第三閘門運河案の実施とパナマ経済社会の変貌」(小林志郎執筆)他。
現行の3つの閘門および2つの人工湖(ガツン湖・ミラフローレス湖)の断面概略図 [拡大画像: x24779.jpg] |