一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
鞆の浦・常夜燈 (4)
幕末維新の頃、海援隊を率いる坂本龍馬らが操船する「いろは丸」は紀州藩の「明光丸」と衝突し、瀬戸内の鞆の南方、
宇治島沖で沈没した。いろは丸乗組員らは「完成して間もない常夜灯を目印に鞆の浦へ上陸した」とされる。 画像の常夜燈は、江戸時代、船の出入りを誘導する燈台の役目、あるいは鞆の船着き場への導灯(guide light)の役目を 果たしていた(高さ5m以上、基礎石3m以上の石造りの塔)。常夜燈は安政6年(1859年)に建造されたが、老朽化がひどく1988年に修復された。
市街の小高いところにある「鞆の浦歴史民族博物館」から見下ろすと、江戸時代にタイムスリップしたかのような風景が
広がる。 「常夜燈のある、江戸時代の鞆の海と街風景」を切り取ることができる。
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1 2 1. 「円福寺」や「船番所跡」へ通じる坂道の途上から鞆の港を見下ろす。中央には小さく常夜燈が見える。右手の白壁の土蔵造りの 建物は「いろは丸展示館」である。 [拡大画像: x22981.jpg] 2. 「大正時代 打瀬(うたせ)舟の入港」と題する鞆の港風景写真(鞆の浦観光情報センターにて)。中国のジャンク船のように、 その帆にはいくつもの竹の棒のようなものが横方向に取り付けられている。 [拡大画像: x22982.jpg] 辞典内関連サイト ・ 世界の海洋博物館 ・ 日本の海洋博物館 ・ 「いろは丸展示館」&「鞆の浦歴史民族資料館」 |