一枚の特選フォト「海 & 船」
[海のエッセイ]日本が世界に誇った南米航路定期船
- 「ぶらじる丸」 と 「あるぜんちな丸」 -
ブラジル/作: マドロスII世/2003.6
博物館への寄贈者 Mitsui O.S.K. Lines(大阪商船三井) |
日本の商船隊は第二次世界大戦によって壊滅的な打撃をこうむった。 だが、戦後における復興はめざましく、かなりのハイ・ピッチで戦前と同じ船腹量レベルにまで回復したといえる。 そして、戦後まもなくして日本の造船・海運業界が世界に誇った船がある。 その当時の造船技術を結晶させた「船の最高傑作」ともいえる、最新鋭の船である。 それこそが、日本から太平洋を横断し、パナマ運河を経て南米にいたる定期航路に就航した、 外航船 「ぶらじる丸」、「あるぜんちな丸」である。
日本も今でこそクルージング(船旅)専用の大型豪華客船を建造し、就航させている。
その2隻の船の大写真を、何とブラジルの「サントス港博物館」で見つけた (2001年)。
ぜひともその航海記や乗船記などの文献を読んでみたい。 |
あるぜんちな丸 (Argentina Maru)
博物館への寄贈者 Mitsui O.S.K. Lines
[注] Argentina Maru: 英語では「アージャンティーナ」丸、スペイン語では「アルヘンティーナ」丸となる。
いずれも、アルゼンチンを意味する。 |
全くの余談だが、小学校6年生の頃から、南米航路船のマドロスにあこがれていた。 中学英語教科書「Jack and Betty」のグラビアによく出てきたニューヨークの摩天楼、エンパイア・ステートビル、そしてニューヨーク航路船 にもあこがれがなかった訳ではない。 だが、なぜか南米航路のそれに強烈なあこがれを抱いていた。 自分でも、今でもその理由は分からない。
当時、サントスはコーヒーの積出港として活気を帯びていた。
青年になってからも、一人で神戸のメリケン波止場で大きな船をぼんやり眺めながら、
話せば長くなるのでやめるとして、そんな夢は破れ去り、遠い過去のものとなっていた時代が長く続いた。
人生何と遠回りしたことか、という思いを捨て難かった。 |