一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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英国と清国とのアヘン戦争 (1840-42年)
/英国汽走砲艦メネシス号による砲撃(図絵)
[近代海戦図展覧/静海寺回廊]

中国・南京の市街地北域に南京駅がある。その西方4㎞ほどの地にある山の頂きに、「閲江楼(Yuejiang Tower)」という有名な楼閣がそびえる。 その西側の山裾に「静海寺(Jinghai Temple)」という、明の時代の大航海者・鄭和(ていわ)に所縁のある寺がある。 その境内には「鄭和紀念堂 (Zheng He Memorial Hall)」が建ち、そのすぐ背後に「潮音閣(Chaoyin Pavillon, Tide Sound Pavillon)」が 控える。 その昔、明の成祖(Emperor Chengzu)が、鄭和の南海遠征を称えるためにメモリアル・テンプルを建立するよう命じた。 建立された寺がこの静海寺である。潮音閣のすぐの背後には、「静海寺・南京条約史料展示館(Jinghai Temple Exibition of Historical Materials of "Treaty of Nanjin")」という、南京条約などの「中国にとって不平等極まりなく屈辱的であった」諸条約に 関する多くの史料を展示する。

潮音閣と同展示館を結ぶ回廊には、「近代海戦図展覧」と称して、中国が近代において関わった海防や海戦などに関する 絵図および略史を記した20枚以上のパネルが展示されている。画像はそこに展示される一枚の海戦絵図である。「第一次阿片戦争 (First Opium War)」において英国軍艦の攻撃を受ける中国ジャンク船の場景を描いた有名な絵図である。 絵図右側奥には英国東インド会社の汽走砲艦「メネシス号(Menesis)」が見える。

19世紀前期、英国はインドで栽培・製造した阿片を清国へ組織的に密輸し、販売して巨利を得ていた。当時の英国は茶、陶磁器、絹などを 大量に清国から輸入していたが、逆に清国への輸出品は乏しく、英国は大幅な輸入超過状態にあった。銀の国外流出を 抑制したかった英国は、事もあろうか植民地のインドで栽培した麻薬の阿片を清国に密輸出して、その輸入超過を相殺しようとした。 他方、清国は阿片の流通販売、摂取について厳しく禁止する対策を執るには執っていた。 1838年、清国・道光帝は、林則徐を特命全権大臣に任命し広東に派遣し、阿片密輸の取り締まりに当たらせた。1939年3月に赴任した林則徐は、 大量の阿片の処分を敢行するなどして、厳格な取り締まりを行った。

両国間の政治的緊張がこの取り締まりの過程で高まり、1840年から2年間にわたる、いわゆる阿片戦争(第一次)に突入していった。 英国海軍艦船は中国沿岸をなぞりながら北上し、要所要所において次々と武力制圧し、ついに北京近傍の天津まで進撃した。 勝利した英国は、1842年8月29日に英国軍艦「HMSコーンウォリス号」において、清国との間で南京条約に調印し、 阿片戦争(第一次)はその終結を見た。

清国は英国へ香港を割譲した他、多額の賠償金を支払うことになった。その翌年の条約では、治外法権、関税自主権放棄などの不平等な 条件を受け入れることを余儀なくされた。当時世界に君臨していた大英帝国と東洋の大国・清との戦争の結末は、日本にも強烈な衝撃を もたらした。現代中国の国民はこの阿片戦争に関する顛末から何を学べと教育されてきたのであろうか。

[画像撮影: 2017.4.3-10 中国京杭大運河の旅/2017.4.4 南京にて][拡大画像: x27688.jpg]


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